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谷川浩司の編集履歴

2020-03-14 21:37:08 バージョン

谷川浩司

たにがわこうじ

日本の将棋棋士九段。羽生善治がいなければ、将棋界の天下を取ったであろう棋士。十七世名人資格保持者。2012年12月~2017年2月、日本将棋連盟会長。

概要

谷川 浩司は、日本の将棋棋士。若松政和七段門下。棋士番号は131。兵庫県神戸市出身。十七世名人資格保持者。現在、竜王戦:4組、順位戦:B級2組


棋歴

1976年12月20日、僅か14歳で四段プロデビュー。(これは藤井聡太七段、加藤一二三九段に次ぐ史上3番目の若さである。)

1983年6月15日、第41期名人戦第6局にて加藤一二三名人(当時)に勝利し、通算4勝2敗の成績で

名人位を奪取した。(21歳の若さでの名人獲得は、史上最年少記録

1991年には史上4人目の四冠王(竜王・棋聖・王位・王将)に輝く。

羽生善治を始めとする若き羽生世代の台頭の前に立ちはだかる壁となり、1995年には羽生の七冠達成がかかった第44期王将戦では、フルセットの激戦の末、王将位を防衛。羽生の七冠独占を阻止した。しかし羽生は残る6つのタイトルを全て防衛し、再びリターンマッチへ挑んできた。そして開幕した第45期王将戦は羽生の3連勝で進み、1996年2月14日、第4局で敗れ王将位をストレートで失冠。羽生の七冠達成を手助けしてしまった。


その後、一度は羽生から竜王・名人を奪い返すことに成功したが、そのタイトルも名人は佐藤康光、竜王は藤井猛といった羽生世代の棋士に奪われ、2004年の棋王位失冠(ちなみに相手はまたもや羽生)以来、タイトル戦から遠ざかっている。(最高で棋聖戦ベスト4)


2014年、第72期A級順位戦7回戦で行方尚史八段に敗れ、最終戦を残したまま連続32期在籍したA級から陥落となった。

2020年1月23日、第78期B級1組順位戦12回戦において千田翔太七段に敗れ、最終局を残してB級2組への降級が決定した(最終成績は3勝9敗)。名人経験者のB級2組への降級は加藤一二三九段、丸山忠久九段(後にB級1組へ復帰)に続く史上3人目、また初の永世名人資格保持者がB級2組へ降級となった。


棋風は、独創的かつ芸術的な手順で相手玉を詰ませることから「光速の寄せ」「光速流」と呼ばれる。


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将棋 棋士 名人 羽生善治

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