佐藤康光
さとうやすみつ
1969年、京都府に生まれる。6歳で将棋を覚えた。憧れていた棋士は米長邦雄だったという。
1981年、第6回小学生将棋名人戦に出場、3位の成績を収める。
1982年12月、6級で奨励会に入会(後に父の転勤により関西奨励会から関東奨励会へと移籍)。
1987年、四段昇段(プロ入り)。
1990年、第31期王位戦で福崎文吾八段を破り、初のタイトル挑戦を決める。谷川浩司王位との番勝負は3勝4敗のフルセットの末、敗退する。
同年、第9回早指し新鋭戦で森内俊之五段を破り、棋戦初優勝。翌年も森下卓六段を破り、連覇を果たす。
1993年、第6期竜王戦で森内六段を2連勝で破り挑戦権を獲得。羽生善治竜王との番勝負を4勝2敗で制し、初のタイトル獲得、竜王戴冠を果たす。しかし、翌年の第7期竜王戦で、挑戦者として戻ってきた羽生五冠に2勝4敗で敗れ、失冠。初の六冠王達成を許してしまう。第8期竜王戦は先崎学六段を破り、また逆に羽生竜王への挑戦権を獲得し、3年連続の同一カードとなった。しかし番勝負では2勝4敗で敗退。
1995年度、第54期B級1組順位戦で11勝1敗の成績を収め、A級昇級と八段昇段を決める。
1998年、第56期順位戦で6勝3敗となり羽生四冠とのプレーオフの末、名人挑戦を決める。谷川名人との番勝負は4勝3敗で制し、初の名人位を獲得した。規定によって九段へ昇段する。連覇するものの第58期名人戦で丸山忠久八段にフルセットの末敗れ、失冠。
2001年度、第51期王将戦挑戦者決定戦で6戦全勝という圧倒的な成績で挑戦権を獲得。羽生王将との番勝負を4勝2敗で制し、奪取。初の王将位を獲得した。
2002年度、第73期棋聖戦挑戦者決定戦で丸山名人を下し挑戦権獲得。郷田真隆棋聖との番勝負を3勝2敗で制して奪取。初の二冠王(棋聖・王将)となった。同年、第50期王座戦で藤井猛九段を破り挑戦権を獲得。自身初の三冠をかけた羽生王座との番勝負は、3連敗での敗退となった。第52期王将戦
では挑戦者として戻ってきた羽生に4連敗で奪還され、王将失冠。
2006年度、第77期棋聖戦で鈴木大介八段の挑戦を3連勝で制し防衛。通算5期獲得により永世棋聖の資格を獲得した。第32期棋王戦でも深浦康市八段を破り挑戦権獲得。森内棋王を3勝2敗のフルセットの末奪取。二冠復帰(棋聖・棋王)を果たした。
2008年度の第34期棋王戦では、久保利明八段に2勝3敗のフルセットの末敗れ失冠。7年ぶりに無冠となった。
2009年度、第68期A級順位戦では、8回戦で藤井九段に敗れ2勝7敗で降級。14年間維持したA級の地位から陥落した。
翌年の第69期B級1組順位戦では9勝3敗の成績でA級復帰を決めた。
2011年7月、谷川棋士会長の辞任により日本将棋連盟棋士会長に就任(2017年2月辞任)。
2011年度第61期王将戦では、挑戦者決定リーグにおいて5勝1敗の成績を収め、豊島将之六段とのプレーオフも制し、挑戦権獲得。久保王将との番勝負を4勝1敗で制し、11年ぶりの王将復位を果たす。(翌年、挑戦者の渡辺明竜王に1勝4敗で敗れ、失冠。)
2016年度、第66回NHK杯テレビ将棋トーナメントで佐藤和俊六段を破り、9年ぶり3回目の優勝を果たす。
2017年7月、公式戦通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成(史上9人目)。
2017年2月、将棋ソフト不正使用疑惑騒動に伴う谷川会長の辞任を受け、歴代16人目となる日本将棋連盟会長に就任した(2023年6月に勇退)。
タイトル戦履歴
※は永世称号資格保持
棋戦名 | 獲得回数 | 登場回数 |
---|---|---|
竜王 | 1期(1993年度) | 5回(1993~1995年度、2006年度・2007年度) |
名人 | 2期(1998年度・1999年度) | 3回(1998~2000年度) |
王位 | - | 5回(1990年度・1997年度・1998年度・2005年度・2006年度) |
王座 | - | 3回(2002年度・2005年度・2006年度) |
棋王 | 2期(2006年度・2007年度) | 6回(1998年度・2001年度・2006~2009年度)) |
叡王 | - | - |
王将 | 2期(2001年度・2011年度) | 8回(1997年度・1999年度・2001年度・2002年度・2005年度・2006年度・2011年度・2012年度) |
棋聖※ | 6期(2002~2007年度) | 7回(2002~2008年度) |
合計13期、登場37回(歴代7位)
一般棋戦履歴
合計12回
棋風
- 元来居飛車党の棋士であり、デビュー当初はその深い読みと正確さから「1秒間に1億と3手読む」、「緻密流」と評されていた、のだが…
- 永遠のライバル羽生善治に勝つためにどうすればよいかを考え始めた結果、まずは振り飛車に手を出した。その後も振り飛車をたまに指すという生活を続けた結果、ダイレクト向かい飛車・阪田流向かい飛車などの力戦振り飛車にも手を伸ばし、最終的に棋界屈指の力戦党になり、「変態流」と呼ばれるようになってしまった。
- しかもこの力戦の指し手も力戦党から見ても怪力、剛腕と言わざるを得ない手しかなく、しばしば「丸太を振り回す」と評されてしまう。
- 近年は振り飛車を指すことも多いが、振り飛車御三家の一人に数えられる鈴木大介曰く「これは振り飛車じゃない」と言われてしまう始末。
- しかし(従来の読みの深さも相まって)異常な強さを発揮し、2021年には羽生のA級陥落により、羽生世代唯一のA級となり(2022年にA級から陥落)、王座戦の挑戦者決定戦に進出など大活躍、「会長」になぞらえて「怪鳥」と呼ばれている。
ヴァイオリン
- 特技はヴァイオリン演奏。将棋を覚える以前から習っていた。タイトル戦の就位式に演奏を披露していたこともあった。将棋雑誌の企画でヴァイオリニストの千住真理子と対談した際に、千住の目の前で演奏を披露し、腕前を絶賛されたこともある。
その他
- 羽生善治と最も対局している棋士である。2024年4月26日時点で169局(佐藤の55勝114敗)であり、これは歴代同一対戦カード2位(1位は中原誠VS米長邦雄の187局、現役では1位)の記憶である。
- これは同時に羽生善治に最も敗北している棋士でもあり、佐藤自身も2020年に「羽生さんとは21回もタイトル戦やりましたからね。100敗以上してる棋士が2人しかいない」と自虐している(なお、羽生に100敗以上しているもう一人は谷川浩司十七世名人)。ネット上では「羽生善治被害者の会 会長」とも呼ばれることもある。
- 第58回(2008年度)NHK杯3回戦(対金井恒太四段)との対局で、時間が迫り「▲5九飛車」と指す場面で飛車駒を落としてしまう。しかし指し手の位置である5九を指で示し「飛車」と発言したことから時間内に指したとされ事なきを得た(駒を落とした場合について連盟の対局規定第5条※に従った形)。
- ※対局者が秒読みの最中に駒を手から落とした場合には、指で盤面部分を押さえ、どう指すかを言えば着手の代用と認める(対局規定第5条4項)。
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