はじめに
※A級残留の難しさを表現するコピペ
【絶望したい棋士におすすめの棋戦 A級順位戦】
- B1で圧倒的強さを誇った深浦なら残留確実だと思っていたらよくわかんない棋力のやつらにボコられた
- 残り三局の時点で3勝3敗の5分だった深浦がその後一気に3連敗くらってB1に戻ってきた。
- 足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると、頭ハネされた深浦だった。
- B級1組上がりの1/2が頭ハネ経験者。しかも下位順位者がガチホモという都市伝説から「深浦ほど危ない」
- 「4勝すれば落ちるわけがない」といってA級に上がった深浦が1年後、4勝5敗で戻ってきた。
- 同じ事が二度も続くわけない」といって再びA級に上がった深浦が1年後やっぱり4勝5敗で戻ってきた。
- 「タイトルホルダーが落ちるはずない」と言ってA級に上がった深浦が1年後王位のままで戻ってきた。
- 「他の棋戦で対局したけど楽勝だった」と余裕顔で出て行った深浦がマジ本気のA級棋士にボコられて戻ってきた。
- 9位と10位は頭ハネにあう確率が250%。一度ハネられてまたハネられ、さらにハネられる確率が50%の意味
- A級順位戦におけるフルボッコでの戦意喪失者は1年平均2人、うち約1人が深浦
基本プロフィール
棋歴
年度 | 主な実績 |
---|---|
1984年度 | 花村九段門下として6級で奨励会に入会。 |
1991年度 | 第9回三段リーグで13勝5敗2位の成績となり、10月1日付で四段昇段(プロ入り)。 |
1993年度 | 第11回全日本プロ将棋トーナメント決勝五番勝負で米長邦雄九段を3勝2敗で破り、全棋士参加棋戦初優勝。続いて第12回早指し新鋭戦で豊川孝弘四段を破り棋戦優勝。その後上位棋戦の第27回早指し将棋選手権で羽生善治三冠を破り全棋士参加棋戦優勝。一つの年度にテレビ東京の両棋戦で総合優勝を成し遂げたのは深浦だけである。 |
1996年度 | 第37期王位戦挑戦者決定リーグで紅組優勝。挑戦者決定戦で白組優勝の丸山忠久六段を破り、初のタイトル挑戦を決める(羽生王位との番勝負は1勝4敗で敗退)。 |
1999年度~ | 第18回~第20回早指し新鋭戦決勝戦で北浜健介六段、久保利明六段、行方尚史六段をそれぞれ破り、3連覇を果たす。 |
2002年度 | 準タイトル戦の第21回朝日オープン将棋選手権で勝ち抜け、堀口一史座朝日選手権者との番勝負を3勝2敗で制して奪取(翌年、羽生名人に2勝3敗で敗れ、失冠)。 |
2003年度 | 第62期B級1組順位戦で11勝1敗1位の成績でA級昇級と八段昇段を決める。 |
2007年度 | 第48期王位戦挑戦者決定リーグで紅組優勝。挑戦者決定戦で白組優勝の渡辺明竜王を破り、タイトル挑戦権獲得。羽生王位との番勝負を4勝3敗で制して奪取。35歳にして初タイトルを獲得した。翌年リターンマッチに来た羽生名人を4勝3敗で、翌々年は木村一基八段を3連敗からの4連勝で防衛。3連覇を達成した。 |
2010年度 | 第81期棋聖戦挑戦者決定戦で渡辺竜王を破り、挑戦権獲得(羽生棋聖との番勝負は3連敗のストレートで敗退)。第51期王位戦七番勝負では広瀬章人六段の挑戦を受けるが、2勝4敗で敗れ失冠。 |
2010年度 | 第82期棋聖戦挑戦者決定戦で佐藤天彦六段を破り、2年連続で挑戦権を獲得(羽生棋聖との番勝負は3連敗で2年連続ストレートで敗退)。 |
2015年度 | 第23期銀河戦決勝で佐藤天八段を破り、12年ぶりの棋戦優勝を果たした。 |
2017年度 | 通算800勝(将棋栄誉敢闘賞)達成。 |
2018年度 | 第77期A級順位戦では2勝7敗の成績となり、4度目のB級1組降級となった。 |
2019年度 | 第69回NHK杯テレビ将棋トーナメント決勝にて、稲葉陽八段に勝利し初優勝を飾った。 |
2019年度 | 第79期B級1組順位戦で3勝9敗13位となり、B級2組へ降級となった。 |
順位戦の不運
※詳細は順位戦【深浦康市九段の順位戦における不運】の項目参照
- 1994年度、3度目となる第53期C級2組順位戦で9勝1敗の成績を収めるが、順位の差が響いて次点に終わる。(このときの昇級者は、久保四段【10勝0敗】、三浦弘行四段【9勝1敗】、中川大輔六段【9勝1敗】)。
- 1999年度、第58期B級2組順位戦で9勝1敗の成績を収めるが、順位の差が響いてまたもや次点。(このときの昇級者は藤井猛竜王、三浦六段【9勝1敗】)。
9勝1敗で昇級を逃した経験が2度ある棋士は、順位戦の長い歴史の中でも深浦だけである。
- 2004年度、初参加の第63期A級順位戦は、4勝5敗に終わる。この成績は谷川浩司九段、丸山八段、三浦八段、鈴木大介八段と同率であり、深浦はこの5名の中で順位最下位(昇級直後により9位)であった。よって4勝を挙げながらもB級1組へ降級となった(翌年、第64期B級1組順位戦では10勝2敗の成績を収め、1期でのA級復帰を決める)。
- 2006年度、2度目となる第65期A級順位戦は、再び4勝5敗に終わる。この成績は佐藤康光棋聖、丸山九段、藤井九段、久保八段、三浦八段と同率であり、またしても順位最下位(9位)であったためにまたもやB級1組へ降級となる(2007年度、第66期B級1組順位戦では9勝3敗の成績を収め、再び1期でのA級復帰を決める)。
A級で4勝しながら降級した経験が2度ある棋士は、順位戦の長い歴史の中でも深浦だけである。
- 2008年度(第67期)、3度目となる第67期A級順位戦では、3勝6敗の成績となる。これは三浦八段、鈴木八段と同率であり、順位が8位の三浦が残留、9位と10位の深浦と鈴木が降級した。
タイトル保持者のB級1組への降級は史上初である。
よって深浦は2003年~2008年まで、A級とB級1組との間を6年連続で往来したことになる。
これから「将棋界の七不思議」のひとつに数えられることもある。
地球代表
「地球代表」という異名で呼ばれることもある。これは将棋界の有名なコピペ「将棋星人」からきている。
元々は2008年に王位戦防衛の渦中で、「将棋星人と戦うのは羽生以外いない、深浦でいいのか、地球規模で考えろ」という趣旨の壮大なネタが某所に投稿されたことがきっかけであった。汎用性が高く、内容を書き換えた「『〇〇星人』対『その分野の代表などの誰か』」という図式でよく利用されていた。このときには深浦では地球代表にはなれないというネガティブな意味だった。
しかし、それから10年ほど経ち、羽生と、プロデビューからいきなり将棋界どころか日本中を席巻した藤井聡太の両名が何故か「実は地球を侵略しに来た将棋星人」だといわれるようになった2017年秋以降、両名を第3期叡王戦で立て続けに下したことで、深浦の評価が見直されることに。
さらに第76期順位戦一斉最終戦(9回戦)では、自身の残留をかけた対局で久保利明九段を破り自身の残留を決める。しかしこの勝利が、結果的に(本人は知らないまま)史上初の6者プレーオフの最後のピースを埋めることとなったのだ。これが最後の決め手となり、「深浦が地球代表にふさわしい」とされて、深浦の異名として定着することになったのである。
なお、将棋フォーカスのインタビューでこのことを聞かれ、「勝負強さを認められており、うれしさを感じている。」と発言している。つまりは本人公認である。また2020年4月に弟子の佐々木大地五段と共同で開設したTwitterアカウントのプロフィール背景は地球の写真である。
そして2021年5月6日…昨年度から負けなしの19連勝(この連勝の中には竜王・豊島将之、名人渡辺明への勝利も含まれている)をし、史上初の記録である二回の20連勝達成を目前とする将棋星人・藤井聡太に勝利した。藤井に2021年度初の泥をつけた棋士、加えて弟子の佐々木大地と共に対藤井聡太戦績2勝1敗と一門揃って勝ち越すという偉業を成し遂げた。地球の未来はまだまだ安泰であろう…
5月の敗戦後、藤井は棋聖、王位を防衛、さらに叡王を奪取し史上最年少三冠を成し遂げていた。そして進行中の竜王戦では豊島を完膚なきまでに圧倒し開幕2連勝。藤井に勝てる男はもういないのか…そして来るべき10月31日、藤井のNHK杯が始まった。初戦の相手はまたもや深浦康市である。しかし5月よりも藤井はさらに成長していた。結果は…深浦の圧勝であった。藤井聡太、王座戦に引き続きまさかのNHK杯初戦敗退である。
この日、Twitterには将棋関係の3つの言葉がトレンドに入った。「藤井聡太三冠」、「NHK杯」、そして「地球代表」である。
ちなみにこの対局の敗戦で藤井は机に突っ伏してしまった。(画像)
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フローラ・・・深浦(フカーラ)から。ちなみに深浦はドラクエはプレイ経験あり。