概要(棋士プロフィール)
いわゆる「羽生世代」の棋士のうちの1人。将棋を題材とした人気漫画『3月のライオン』の将棋監修を務めていることでも有名。
既婚者で、妻は囲碁棋士の穂坂繭三段。兄の章は医学者・精神科医である。
棋歴
年度 | 主な実績 |
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1981年度 | 米長門下として6級で奨励会に入会。 |
1987年度 | 第1回三段リーグで12勝5敗2位の成績となり、10月1日付の17歳で四段昇段(プロ入り)。ちなみに同期昇段は中川大輔八段である。 |
1990年度 | 第40回NHK杯テレビ将棋トーナメントで全棋士参加棋戦初優勝。準決勝で羽生善治竜王、決勝で南芳一二冠を破っての優勝となった。 |
1991年度 | 第14回若獅子戦で棋戦優勝。 |
1995年度 | 第8期竜王戦では2組優勝から挑戦者決定三番勝負まで進出するが、佐藤康光前竜王に1勝2敗で敗れ、挑戦権獲得とはならなかった。 |
1999年度 | 第58期B級1組順位戦で8勝3敗2位の成績となり、一昨年より3期連続の昇級かつA級八段となった。 |
2001年度 | 第60期A級順位戦で2勝7敗となり、B級1組へ降級。 |
2005年度 | 第46期王位戦挑戦者決定リーグでは4者プレーオフの末に紅組優勝。挑戦者決定戦では佐藤康棋聖に敗れ、挑戦権獲得を逃す。 |
2009年度 | 第50期王位戦挑戦者決定リーグ入り(3勝2敗で陥落)。 |
2012年度 | 13年2月、第71期B級2組順位戦9回戦で飯島栄治七段に勝ち、47人目となる公式戦通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。 |
2014年度 | 4月1日、第27期竜王戦4組2回戦で飯塚祐紀七段に勝ち、勝数規定により九段に昇段。また先崎の昇段により、先述の羽生世代に該当するすべての棋士が段位で九段となった。15年3月、第73期B級2組順位戦で8勝2敗2位の成績となり、10年ぶりにB級1組への復帰を果たした(翌年、1勝11敗で降級)。 |
2017年度 | 17年10月~18年3月まで、一身上の都合により休場となった(詳細は後述)。 |
2018年度 | 第77期B級2組順位戦では1勝9敗の成績となり2つ目の降級点に獲得したため、C級1組へ降級。 |
棋戦優勝履歴
棋戦名 | 優勝回数 |
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NHK杯テレビ将棋トーナメント | 1回 (1990年度) |
若獅子戦 | 1回 (1991年度) |
計2回
人物
- ニックネームは「せんちゃん」。新進気鋭の頃は「天才先崎」とも呼ばれた。
- 公式戦への復帰後の2018年7月、著書『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』において休場の理由がうつ病の治療のためであったことを公表、闘病経過を詳細に綴った。
- 後に、NHKでドラマ化された。先崎役は安田顕が務めた。
- エッセイストとしても知られており、著書は多い(『週刊文春』などの雑誌にコラムの連載を持っていた)。その中でよく佐藤康や羽生をネタにしている。また、2007年4月に創刊された『パチスロ必勝ガイドNEO』にも連載記事を寄稿していた。
- 奨励会入会から間もなく頭角をあらわにしたため、一時期「天才(先崎)」とまで呼ばれるようになった。しかし、奨励会の先輩に誘われる形で雀荘デビューした上、徹夜麻雀や酒も飲んでいたなど、棋士としては目を疑うような素行の悪さが目立つようになる。そのことが災いして、羽生善治をはじめとする同世代の棋士たちに追い抜かれてしまい、終いには新たに「天才」と呼ばれた羽生に対し、先崎本人は「元天才?」のレッテルを貼られてしまった。この転落と挫折がきっかけで、不良行為から足を洗い、棋士としての心や将棋に対する向上心を取り戻し、羽生世代の仲間にコンプレックスを抱くどころか、むしろ「逆に感謝するべきかもしれない」、と言っている。
関連タグ
林葉直子 - 米長門下の姉弟子(現在は将棋連盟を退会、女流棋士の身分を放棄している)。先崎は彼女とよくケンカして泣かされていたこともしばしばあり、上記の素行不良も、よく泣かしたことから間接的に彼女が関与していないとも言い切れない部分がある。林葉は女流棋士として名をはせていたものの、ある事情から大騒動を起こしたことが原因で、将棋界から追放に近い形で退会せざるを得なくなった。その後は「かとりまさる」というPNで『しおんの王』の漫画原作を担当した。