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HBKの編集履歴

2011-09-16 22:00:25 バージョン

HBK

はーとぶれいくきっどしょーんまいけるず

HBK(HeartBreakKid)とはWWEで活躍したスーパースター。

I'm a Sexy Boy.(入場曲より)


人物

1965年7月22日、アメリカ合衆国アリゾナ州チャンドラー生まれ、テキサス州サンアントニオ出身。186cm102kg。

ずば抜けた身体能力と圧倒的カリスマ、そして超ド派手な入場パフォーマンスからヒール・ベビーフェイス双方で絶大な人気を誇り、この項目のHBK以外にも、SexyBoy・TheMainEventerなど多数の愛称を持つ。


来歴

WWE入団まで

18歳の頃、地元テキサス州サンアントニオのインディー団体にて、1984年10月16日デビュー。

この頃海外武者修行中だった、冬木弘道・川田利明組とタッグマッチにて対戦している。

その後1986年にAWAに移籍。また1987年に一度当時のWWEと契約を交わしたが、ナイトクラブでの乱闘騒ぎが原因となりわずか2週間で解雇されている

その後AWAに逆戻りするハメになるものの、1988年に再度WWEと契約を交わした。


WWE入団、HBK誕生まで

1988年、当時タッグを組んでいた相方と共に「ザ・ロッカーズ」としてWWEマットデビュー。

後に最大のライバルとなる"HitMan"ブレッド・ハートらと抗争を繰り広げ、ルックスの良さと軽快なアクションを武器に女性・子供のファンを中心に、人気を集めた。

また1991年1月に当時提携を結んでいた日本のプロレス団体の興行で初来日。3月には東京ドームで試合をしている。


HBK誕生~D-Generation X結成まで

1991年11月のビッグイベントで、同志討ちでタッグを解消。その後一旦は和解かと思われたが、不意をついた「スイート・チン・ミュージック」(HBKのフィニッシュムーブ)で完全にヒールターン。

「鏡を手にした自惚れ屋」と言うキャラとして、現在のHBKとしてシングルプレイヤーに転向。

当時絶大な人気を誇ったベビーフェイス、前述のブレッド・ハートと世界王座戦を巡る壮絶な抗争を繰り広げる。

なお、この抗争はあまりにも意外過ぎる結末を迎えるが、これについては後述する。

またこの時期多数のタイトルを戴冠し、全WWE選手の中でも数少ない全タイトル戴冠「グランドスラム」を果たしている


D-Ganaration X結成、そして1度目の引退

1997年にHHHらと共にヒールユニット「D-Generation X」(以下DX)を結成。

ブレッド・ハートをリーダーとした、カナダ出身レスラーによるユニット「ハート・ファウンデーション」と抗争を繰り広げる。

しかしながら、長年続けてきたハードバンプが災いとなり、持病であった椎間板ヘルニアが悪化、1度目の引退となる。

その引退後は故郷サンアントニオにWWEの下部組織となる団体を設立。後にWWEマットで活躍する選手を多数輩出している。

また、この頃親友の紹介で知り合った女性と結婚している。

プロレスの暗部「モントリオール事件」

何かと華やかなイメージが強いHBKではあるが、そのキャリアに強烈な影を落とす出来事の当事者になっている。

アメプロファンの間で語り草になっている「モントリオール事件」である。

(以下Wikipediaより抜粋・編集)

1995年、WWFの先行番組「WWFマンデーナイト・ロウ (Monday Night RAW)」に対抗する為、ライバル団体WCWは同一時間帯に名称すら似せた「WCWマンデー・ナイトロ (Monday Nitro)」をぶつけ、両者の間に苛烈な視聴率戦争、いわゆる「マンデー・ナイト・ウォーズ」が勃発した。そして事件が起きた97年当時、WWFは劣勢に立たされて経営は逼迫していた。


WWFはWCWに対抗するために、それまでのファミリー路線から下品で過激さを持つアティテュード路線へ転換していき、D-ジェネレーションXなどを強烈にプッシュしていった。この路線に対して、プロレスは健全であるべきと考えるブレットは反発し、WWFとの関係は悪化していった。また資金的に困窮していたWWFにとって、俸給その他の経費面で複数の看板レスラーの存在は重荷になり始めていた。ショーン・マイケルズ、ジ・アンダーテイカー、ブレット・ハートの3人のトップレスラーのうちアティテュード路線に反対していたブレットが標的となり、彼は1996年に締結したはずの20年契約を破棄されて解雇されることになった。


当時組まれていたストーリーラインとしては11月のビッグイベントで、ブレッドvsショーンの世界王座戦にてショーンが敗北。翌日のテレビ放送にて王座を返上しWWEを退団と言うものだった。

しかし、そのイベント当日に生中継されている中で、団体トップがそのシナリオを破り、何とショーンの勝利(しかもかなり不可解なタップアウト勝利)で王座移動と言うモノに「ブレッドに知らせずに」変更した。

この一連の騒動はWWFを取材したドキュメント映画「レスリング・ウィズ・シャドウズ」にて詳細に描かれている。


この騒動が原因となり、引退するまでカナダで試合をした際、HBKには「ブレッドはハメた卑怯者」と言う意味の罵声を浴びせられるコトになった。


復帰・・・そして。

2002年に怪我が癒えて復帰。

当初は前述の親友らと共に別のユニットを結成して復帰と言うストーリーラインが用意されていたが、その親友らが不祥事や負傷により退団を余儀なくされてしまい、急遽HHHと共に再びDXとして活動するという形で復帰を果たす。

しかしHHHの裏切りと言う形からHHHと抗争を繰り広げる。

2010年。WWEマットに衝撃が走る。

なんと前述のモントリオール事件にてWWEと完全に関係を絶っていたブレット・ハートがゲスト出演。そのときの当事者の一人であるHBKと再会を果たす。

周囲が見守る中、二人は満面の笑みを浮かべて握手と抱擁を交わし、和解と事件の終幕を告げた。

そして同年2010年3月。アンダーテイカーが持つWWE最大のビッグイベント「レッスルマニア」無敗記録と、ショーンのキャリアを賭けた反則裁定無しの世界王座戦で、テイカーのツームストーン・パイルドライバーを受け敗北、引退となる。


関連動画

入場曲「SEXY BOY」。歌はHBK本人によるもの。本人は「音痴だからヘタクソ」と言っているが、そのヘタさ加減も合わせて屈指の人気曲になっている。


最後の勇姿となたレッスルマニア26での入場シーン。ド派手なパイロワークもHBKの魅力のひとつ。そのド派手さからコラボイラストもある。

HBK!

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