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ダスティ・ローデスの編集履歴

2020-05-02 21:40:54 バージョン

ダスティ・ローデス

だすてぃろーです

ダスティ・ローデス(Dusty Rhodes)はアメリカ合衆国のプロレスラー。故人。

概要

1945年10月12日、テキサス州オースティン出身。

本名・ヴァージル・ラネルズ・ジュニア(Virgil Riley Runnels, Jr.)。


南部訛りでのマイクパフォーマンスが得意。

ファイトスタイルはコミカルなショーマン・スタイルの第一人者であるが、本来は喧嘩ファイトを得意とするラフファイターでブルロープ・マッチも得意。

覆面レスラーとして「ミッドナイト・ライダー」(The Midnight Rider)や「ウバルデ・スリム」(Uvalde Slim)の名で試合もしたがアンコ型の体系とファイトスタイルでバレバレだった。


ウエスト・テキサス州立大学にてアメリカンフットボールの選手として活動後、ジョー・ブランチャードのコーチを受け、1968年にテキサス州サンアントニオでプロレスラーとしてデビュー。

同じテキサス出身のディック・マードックとヒールのタッグチーム「テキサス・アウトローズ」を結成して、NWAとAWAの両テリトリーを股に掛けて活躍。

1973年に解散後はNWAフロリダ地区のCWFで約10年に渡って主戦場とした。

1989年から約2年間、WWFと契約。

1990年代はWCWのプロデューサーに就任、セミリタイアながらnWoにも加入。

WCW崩壊後は各地のインディー団体に出場。

2003年からはTNAのレスラー兼任でプロデューサーに就任。

離脱後、2005年にWWEとレジェンド契約を交わし、WWEのプロデューサー・脚本家として裏方で活躍しながらリングにも顔を見せた。

2007年にはWWE殿堂に迎えられた。

2015年6月10日、フロリダ州オーランドの自宅で倒れ病院に運ばれたが、死亡が確認。69歳没。


NWA世界ヘビー級王座を3回獲得。

日本には1971年11月に国際プロレスに初来日。以降、全日本プロレス新日本プロレスに参戦。


息子のダスティン・ローデス、コーディ・ローデスもプロレスラー。(異母兄弟)

  • ダスティンはゴールダスト(Goldust)、ダスティ・ローデス・ジュニア(Dusty Rhodes Jr.)、ブラック・レイン(Black Reign)などのリングネームを使用、特にゴールダストとしてWWEにも上がっている。1989年3月に全日本プロレスに初来日、新日本プロレス、ZERO-ONEにも上がった。

無題

  • コーディ・ローデスは2016年に新日本プロレスに「Cody」として上がった。WWEでは「スターダスト」のリングネームも使用した。

センシティブな作品

WWFではダスティンと親子タッグを組んだり、2013年には家族で共闘もしている。

臨終の際も、ダスティンとコーディを含む家族も居合せている。

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