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吉田敬(ブラックマヨネーズ)の編集履歴

2020-05-28 20:04:17 バージョン

吉田敬(ブラックマヨネーズ)

ぶつぶつのよしだたかし

吉田敬はブラックマヨネーズのボケ担当。

概要

1973年6月27日生まれ、京都府京都市伏見区出身。

両親と9歳年下の弟がいるが、中学1年生まで家庭の事情で親元を離れ、祖父母に育てられた。

高校卒業後、一緒にNSCに入るつもりだった同級生の和田義浩が芝居の学校に行くと言い出した為、2年間は大阪でフリーターとして、パチンコ屋の店員・古紙回収業者・新聞配達員・デパートで靴磨きスプレーの実演販売など10件ほど渡り歩いた。

1994年、NSCに入学し和田と共に「ツインテール」というコンビ名でデビューするもすぐに解散。

(和田はその後放送作家としてブラックマヨネーズのライブに携わる。)

その後、実家の京都に一時帰郷するが、1998年に前々から組みたいと思っていた元「関西キング」の小杉竜一と「ブラックマヨネーズ」を結成。


2013年8月、元看護師の一般女性と結婚。(当時、吉田が40歳、妻が26歳)

その一週間後の8月30日に、第一子となる男児が誕生。


顔のブツブツ

少年期から極度の吹き出物体質であり、当時中学生だった吉田はニキビに悩み、通販で「ニキビを消すローラー」を購入。顔にローラーを押し当て顔中のニキビを一気に潰したことが原因で「ブツブツの顔」になってしまった。更に高校時代には弓道部に在籍し、弓の弦でニキビを潰しながら、顔を血まみれにして練習をしていたという。

(この場合、治療するため医者にかかると、長い時間とかなりの金額になるので、ひどい場合は早いうちに皮膚科で診てもらう事。)

更に、全身アレルギーがひどく、犬アレルギー・カニアレルギー・エビアレルギー・貝類アレルギー・ソバアレルギー・金属アレルギーも抱えている。


表記ゆれ

同姓同名の「音楽プロデューサー」「作曲家」の2人がいる。

音楽プロデューサーの方は、CHEMISTRY平井堅コブクロ絢香Superflyを手掛けたが2010年に48歳で亡くなっている。

作曲家の方は、25歳(2003年)からソロとして創作活動、演奏活動をしている。

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