津軽錦
つがるにしき
江戸時代に作られた地金魚。一度絶滅したがそれを復元した金魚がつくられた。
概要
青森県の地金魚で、江戸時代中期頃に津軽藩で飼育されていた。どのように作出されたかは不明だが、一説によると、丸子と和唐内との交配によって作られたと言われている。
名前は1927年(昭和2年)に弘前博覧会で展示され、観賞した秩父宮雍仁親王により命名された。東北地方の寒さに耐える丈夫な金魚であり、津軽の誇りとの意味が込められている。
しかし太平洋戦争の影響で数が激減し、終戦後は雑種の雌が2匹しか残らず絶滅。後に純血の津軽錦の雄が5匹発見され、それらを元に一戸系津軽錦が作出された。
その後、津軽錦を復元しようとする動きがあり、三輪薫氏が作出した三輪系と一戸忠蔵氏が作出した一戸系が存在する。
特徴
両系統の特徴としては、背ビレを欠き、尾ビレが長い、褪色が遅い、体長は細長く、腹ビレが黄金色に輝く、といった点がある。肉瘤が出ない品種である。
- 三輪系
蘭鋳と関東東錦の交配によって作出。
東錦を使用した為、透明鱗の個体が出やすい。
- 一戸系
純血の津軽錦の雄5頭と蘭鋳の交配によって作出。
東錦を使用していない為、透明鱗の個体が出来にくい。
三輪系より原種に近い。
弘錦
宮本喜三郎が作出した蘭鋳と原種の津軽錦の一代雑種で、津軽錦と違い肉瘤ができる事が特徴。なお、二代雑種では系統が保持できない。