ソビエト初のマッハ2級戦闘機
MiG-21は『高度2万メートルで最大マッハ2』との要求の元に計画された。設計開始は1953年。
同時期にスホーイはSu-7、ヤコブレフはYak-140のような超音速戦闘機の開発が命じられている事から、アメリカに遅れをとるまいと、次々に超音速戦闘機を開発した事がうかがえる。
前線戦闘機とは
ソビエトで戦闘機を運用しているのは空軍と防空軍である。
空軍は戦場空軍とも呼ばれ、それぞれの役割は…
空軍(戦場空軍):前線の防空、地上軍の支援
防空軍;ソビエト領土の防空
という風に、明確に分かれている。
サッカーのポジジョンで言えば空軍はフォワード、防空軍はディフェンダーにあたるだろう。
MiG-21はこの中でも前線戦闘機として開発された。
生産と発展
初めての生産型がロールアウトしたのは1959年の事であった。
最初の生産型はMiG-21F。
現在では当たり前となっている装備、レーダーやミサイルを積まない純粋な昼間戦闘機として完成した。
武装は30mm機関砲2門と、外部に搭載するロケット弾のみ。
この型は1959年9月から翌6月まで、99機が生産されただけであった。
というのも、生産がソビエト初の空対空ミサイル搭載型に切り替えられたからである。
MiG-21F-13である。
このミサイルとはK-13型ミサイル。
ベトナムで撃墜した戦闘機に搭載されていた、AIM-9をコピー生産したもの(CIA談)である。
ミサイルの周辺機器により重量が増したため、左の機関砲は外している。
この型の総生産数は606機。
また、このF-13はチェコスロバキアでもライセンス生産されており、S-106と呼ばれた。
S-106の生産数は194機。
F-13の欠点としては、レーダーを搭載していない点が挙げられる。
これを克服すべくレーダー搭載の防空型、MiG-21Pが計画される。
しかし、実際の生産に入る前にさらなる改良型が計画され、P型は生産されずに終わる。
この計画を引き継いだPF型はレーダーの搭載に加え、燃料タンクの増設・エンジンの出力向上、重量増に対応した大型タイヤなどを盛り込んだ。
しかし、その戦闘力と引き換えに残った1門の機関砲も外されてしまった。あまりにも機首が重くなったためだ。