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MiG-23の編集履歴

2011-11-23 11:10:13 バージョン

MiG-23

みぐにーさん

ミコヤン・グレヴィッチ設計局による戦術戦闘機。可変翼を備え、推力対重量比に優れる。多くの国に輸出されたが、可変翼の維持コストや「つぶし」の利かない設計、少ない搭載量などのせいかMiG-21程には活用されていない様子。NATOコードネームは「フロッガー」。また、戦闘爆撃機型であるMiG-23B、MiG-27についても記述する。画像は最初の生産型「MiG-23S」である。

ソビエト流の可変翼戦闘機

目指すはSTOL戦闘機

元はMiG-21のVTOL試験機(MiG-21PD)からの発展として開発された。

開発の経緯は

『開戦一番の空襲で滑走路が使用不能になるから、滑走路ナシでも使える戦闘機』

という予想である。

(いくら予想とは言え、最初から空襲されるのを前提にするのはどうかと・・・)


当時はどこの国も熱心に取り組んでいたのだが、

ソビエトではSTOL(Short Take Off and Landing)機開発にも熱心に取り組んでいた。

STOLなら空襲で滑走路が破壊されても、残った部分で離着陸できるからである。

リフトエンジンを内蔵すると搭載燃料が少なくなるが、

それは戦場戦闘機としての運用で補える。

(前線近くの飛行場から発進し、近距離の制空や対地支援を行う)


最初の試験機はMiG-21から流用した主翼に、新設計の胴体の組み合わせだった。

ちなみに、この試験機「23-01」はダッソー・ミラージュそっくりである。

(おそらくデルタ翼やマッハコーンのせい)


リフトエンジンの敗北

しかし、リフトエンジンを内蔵するSTOL機はすぐに中止されてしまう。

『世界の傑作機No.92 MiG-23/-27編』によると、

問題はリフトエンジンの設置による燃料タンクの不足と、

離着陸時の低速では舵による安定が効かない事にあるようだ。

(ちなみにwikiでは『機体重量と空間の限界や整備面』とある)

また胴体パイロンが使えず、外部搭載量が少なくなるのも問題だったようである。

23-01の飛行回数は14回。

1967年、航空ショーに出品されてまもなくの中止であった。


可変翼タイプの登場

「23-01」に続き、可変翼の「23-11」がロールアウトした。

時は1967年。「23-01」から遅れる事2ヶ月であった。

こちらは「23-01」程では無いにしても、離着陸距離は短めとなった。

パイロンは胴体と主翼の付け根の左右に計4箇所。それぞれ500kgまでを積めた。

この規格の原型機は4機製作され、

同じころに最初の生産型「MiG-23S」の生産準備も進められた。


MiG-23S

このMiG-23Sはレーダーが間に合わず、MiG-21からの流用で済まされている。

また新式の可変翼機構の強度が不足しており、5Gまでの荷重に制限された。

とても実戦に出せる代物ではないのだが、とりあえずの訓練用として生産された。

生産数は50機。

機首のレドームが細長いのが特徴。


MiG-23「エタロン1971」

「1971年規格」という意味である。

過渡期の暫定仕様であり、それで正式な末尾記号が振られなかったらしい。

主翼が新型となり、付け根にドッグツースがついた。

この主翼は7Gまで耐えるはずだったが、やはり可変機構の問題で3.5Gに制限されている。

レーダーはようやく正式の「サプフィル23」が搭載された。

それにより、武装に中距離ミサイル「R-23」(NATO名:AA-7「エイペックス」)

が追加された。

後部胴体にも燃料タンクが増設されたが、こちらも最大荷重3.5Gに制限されている。

やはり実戦には使えず、生産数は少数だといわれる。


本格生産型の登場

ようやく対策が終了したのが1972年、「MiG-23M」の登場である。

エンジンは改良型になり、そのために主翼と尾翼の間隔が広がった。

武装も新型の「R-60」(NATO名:AA-8「エイフェッド」)ミサイルが追加されている。

問題だった主翼の可変機構も改良され、8Gまで耐えるようになった。


1973年、輸出型「MiG-23MS」の生産も始まった。

当然いくつかの装備品が「格下げ」されており、

MiG-21のレーダー、MiG-23初期型と同型のエンジンとされている。

1976年、本国用改良型「MiG-23ML」の生産開始。

それを受けて、1977年にはMiG-23Mと同規格の輸出型「MiG-23MF」が生産され始めた。


MiG-23M

上記のとおり、エンジンが新型となって胴体が延長された。

武装にR-60が追加され、初めての実戦型となった。


MiG-23MS

MiG-23Mの格下げ輸出型。

レーダーはMiG-21、エンジンはMiG-23Sと同様になっている他に、

赤外線スキャナーも外されている。

また、レーダーがMiG-21同様となっているので、R-23のレーダー誘導型が使用不能である。


MiG-23MF

MiG-23Mと同規格の輸出型。


MiG-23UB

MiG-23の複座練習機型。

前席後方の燃料タンクを撤去して教官席を追加している。

撤去した分は、後部胴体に燃料タンクを新設して補っている。

レーダーを装備していないが、機銃はそのままなので射撃訓練なら対応できる。

また、IR誘導に限ればミサイルも装備可能。

主翼はMiG-23M規格となり、エンジンはMiG-23S相当となっている。

後部胴体の燃料タンクのおかげで、戦闘機型よりも燃料搭載量は多い。

(バランスが狂うので使いにくいかも)


進化の終着へ

MiG-23の生産型としては、MiG-23MLが最後となった。

最後の「L」は軽量化を意味している。

機体構造を見直して軽量化するとともに、合理化が図られている。


・主翼後縁フラップの内側2枚を1枚にまとめた

・垂直尾翼付け根のフィンを小型にして形状変更

・重心から遠い最後部の燃料タンクを撤去

加えてエンジンも強化され、先の軽量化(約1t)と合わせて推力対重量比は0.88となった。

これは燃料満載時の数値であり、半減すれば1を超える。

メーカー曰く、「音速付近の加速はF/A-18をも超える」との事である。

(ただし、F/A-18の加速の悪さは有名である)


武装では、R-60ミサイルの2連ランチャーをさらに1対追加できるようになった。

(ただし、2連ランチャーを4つ装備すると増槽は積めない)


MiG-23MLは1976年より生産が開始されたが、

その翌年から防空軍向けにMiG-23Pの生産が開始された。

MLとの相違点は、地上の迎撃システムとの同調機能や高性能の赤外線スキャナーなど。

生産数は不明だが、かなりの勢力を占めたもよう。


MiG-23ML

MiG-23Mの軽量化型。

エンジンの換装とともに加速性能が向上している。


MiG-23P

防空軍向けMiG-23ML。

地上レーダーとのデータリンクに対応。

赤外線スキャナーを高性能のものに換装している。


MiG-23MLA

レーダーを新型の「アメジスト」に換装したもの。

詳細不明。


戦闘爆撃機への道

MiG-23Mが生産される前年の1971年、MiG-23Bが登場した。

これはMiG-23を戦闘爆撃機として再設計したものである。

一番の特徴は機首の形状であり、長く角ばった機首となっている。

内部はレーダーを取り外し、対地攻撃用の航法・攻撃システムとなっている。

これは軽量なのでバランスが崩れるが、

コクピットへ増加装甲を施す事でつり合いをとっている。

エンジンもSu-17と同系のものになった。

生産は23機で打ち切られている。


MiG-23B生産打ち切りから3年後の1974年、

MiG-23MをベースにしたMiG-23BNの生産が始まった。

エンジンノズルが簡易なものになり、

機首にはレーザー測距装置とミサイル誘導装置が追加された。

また、後部胴体両側には新しく爆弾架が設置されている。それぞれ500kgまでを搭載可能。

これに従来までのパイロンと合わせて、最大搭載量は4000kgとなった。

MiG-23BNは輸出向けであり、本国向けはMiG-23BMと呼ばれた。

(生産前にMiG-27に改められたが)


MiG-23BN

MiG-23を戦闘爆撃機として再設計したもの。

大きく変更された機首が特徴。

後部胴体にも爆弾架を追加している。


MiG-27

MiG-23BNと同時に生産されたMiG-27だが、大きな変更点が2つある。

一つはエアインテイクを固定式にして軽量化・整備性を向上させたこと。

もう一つが30mmガトリング砲への換装である。




実はSu-17

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