南宋
なんそう
中国、宋王朝後期。金に華北を奪われて後に再建されてから、滅亡するまで
概要
中国の宋王朝が、女真族が建国した金により一旦壊滅し、臨安を都に再建(1127年)されてから、モンゴル帝国の元王朝に攻められて臨安を失い、ついに崖山の戦いで滅ぼされる(1276年)までの期間を指す。
関連タグ
宋…正式な国名だが、由来となった地域に由来するほかの「宋」も存在した。
岳飛…南宋初期に現れた英雄。金の軍勢を朱仙鎮の戦いで破って首都開封奪還間近まで迫ったとされるが、政争に敗れて処刑された。
秦檜…金との和平に断固反対していた抗戦派の岳飛を無実の罪で獄死させてから金と和平を結び、およそ150年にわたる和平をもたらしたが売国奴の扱いを受け現在も岳飛の像にひざまづく形で像がおかれており、現地の中国人に像が足蹴にされたり唾を吐かれたりしている。
文天祥…亡宋の三傑と讃えられる忠臣の一人。政治家としても軍人としても滅亡間近の南宋の名を背負って戦い、度重なるモンゴルからの帰順の勧めを断ってついに刑死した。忠臣の代表格の一人として後世に伝わる。
張世傑…亡宋の三傑と讃えられる忠臣の一人。武将として一度はモンゴル軍を撃退する大功をたてる。臨安陥落後もモンゴルの登用提案を断り、転戦を続けて死んだ。
陸秀夫…亡宋の三傑と讃えられる忠臣の一人。最後の皇帝、衛王趙昺の宰相として、崖山の戦いにてモンゴル軍に最後の抵抗を挑む。衆寡敵せず幼帝と共に海に身を投げて自害した。