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文天祥

ぶんてんしょう

中国南宋末の忠臣。文山と号した。
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概要

南宋宰相
軍の南宋侵攻に際しては、兵を率いて防衛にあたる。

当時、宋朝を殲滅せんとフビライ・ハーン(クビライ)が送り込んだ切り札の猛者であるバヤン将軍(宋朝を滅ぼす百目の魔王として恐れられた傑物)が降伏を促した時、
「正統な文明国(宋朝)を、北の蛮人である貴方達は滅ぼすのか、それとも生き永らえさせるのですか?」
と、中華思想を剥き出しにした態度でなじったため、捕まってしまう。

それから間もなくして帝都臨安(今の杭州)が陥落し、同僚だった張世傑は海戦時に溺死し、陸秀夫も幼い皇帝を道連れに自害。各地でゲリラ戦を行っていた天祥も、のちに捕えられて大都北京)に護送された。
最期は、仲間の悲惨な死を目の当たりにさせられた上に宋室が滅びても屈することなく、元に出仕せよとの勧めを拒んで刑死した。

逸話

  • 元の帝都・大都に連行されても獄中で愛国と正義の思いをつづった名作と名高い正気の歌を作り上げ、最終的に彼は死を賜った。その生きざまは幕末の志士達に強い影響を与える事となる。


  • モンゴルに抵抗した張世傑、幼帝を抱いて入水した陸秀夫と並んで三忠臣(亡宋三傑)の異名をとる。一方、世界史的に高く評価される賈似道呂文煥の敵対者と言うことで批判を受ける事も皆無ではない。

  • 北京には、文天祥が捕えられた牢獄跡地に彼を祀った文天祥祠が存在する(今の建物は新しく建てられたもの)。明代や清代に彫られた石碑や、天祥が手ずから植樹した言い伝えのあるの木もある。

  • 難関試験の代名詞とも言える科挙を20歳にして主席合格した秀才。試験官王応麟は、「文天祥殿と言う人材を得ましてございます」と大喜びして理宗皇帝に奏上し、祝し奉った。

  • 体格が良く色白な、麗しき男性だったと伝えられる。今で言うイケメン天才児と言う素晴らしさは、敵であるバヤンを始め多くの人を感動させた。

  • 惜しむらくは人付き合いがヘタで気性が激しい部分があり、上司の賈似道と幾度となく問題を引き起こした。文武両道の名臣なれど、和合を乱したり我を通せば排斥されてしまう好例とも言えなくもない。

文天祥が登場する作品

漢文学


歴史小説


コーエーの歴史シミュレーション

蒼き狼と白き牝鹿シリーズでは皇帝を差し置いて主役扱い、信長の野望でも彼を操作できるなど優遇される。

元朝秘史では戦争に負けたためか武力は弱いが、それ以外は極めて高く、裏切りにくい人材。チンギスハーンでは南宋軍の主力として活躍するチート

関連タグ

忠臣
正気の歌 - 文天祥が大都の獄中で詠んだ名高い五言古詩。

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