概要
現在の大分県竹田市で生まれる。
ロシアに留学し、ついでロシア駐在武官となる。
撤退時に行方不明となった杉野孫七を捜索中、ロシア軍砲弾の直撃を受けて戦死した。
中佐に特進し、「軍神」と称せられた。
郷土の竹田市でも顕彰するために昭和10年に広瀬神社が建立された。
「杉野はいずこ 杉野はいずや…… 」と歌う『広瀬中佐』という唱歌が作られた。
日本国民に広く歌われ、誰でも知っている唱歌であった。
旧国鉄万世橋駅前には、広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像があったが、第二次大戦の終結後に撤去されてしまった。現在万世橋駅跡地に建つJR神田万世橋ビルの前にあるポールは撤去されてしまったこの銅像の存在を示すものである。
外部リンク
ねずさんの ひとりごと「歴史から学ぶべきこと・・・広瀬武夫中佐」