概要
古代メソポタミアには、神に仕えた女性祭司(神殿娼婦)のグループがいくつか存在した。
シャムハトはそのうちの1グループであり、彼女らの華やかないでたちを表す名称と考えられている。
現在他に名が知られているのは、カディシュトゥ、イシュタリートゥ、クルマシートゥ、ケゼルトゥの4グループで、彼女らは一般的にハリムトゥと呼ばれていた。
そして、このハリムトゥの名はしばしば、「自由恋愛」のパトロンたるイシュタル女神を指す言葉としても使われており、彼女らがイシュタルを理想としていたことを表している。
ただ現在、彼女らがいかなる形でグループを形成していたのか等、名称以外は不明な点が多い。
ギルガメシュ叙事詩におけるシャムハト
ギルガメシュ叙事詩におけるシャムハトはグループとしてではなく、個人の名称として書かれている。第6書板においてはグループとしてのシャムハトが登場しているが、彼女たちは、天の牡牛を倒されて呪詛の声を上げているイシュタルの周囲に呼び集められたケゼルトゥの女性たちである。
神々に作られたばかりの当時のエンキドゥは、羊と共に草を食べ、野獣と共に池で水を飲み、狩猟用の罠を破壊していたという。
これに畏れ入った狩人は、エンキドゥを開化させるためにはシャムハトが必要であると父の助言を受け、ギルガメシュ王のもとを訪ね、シャムハトを連れ出せるよう王の許可を得た。
そして、狩人と共にエンキドゥの水飲みの池を訪れたシャムハトは、そこで裸になってエンキドゥを魅了し、彼と七日六晩の時間を共にした。そして、シャムハトとの時間を過ごしたエンキドゥはやがて人智が開化し、知恵と思想を持つようになり、毛むくじゃらの大男の姿から人間の男性の外見を得た。(ちなみにエンキドゥの容姿はギルガメシュによく似ているという説があり、その事からギルガメシュとは双子であるという一つの説が唱えられたりもする。)
その後、シャムハトはエンキドゥにウルクのギルガメシュのもとを訪れるように言い、エンキドゥの同意を得た後、自分の服の一部をちぎってエンキドゥに与え、エンキドゥと共にウルクへと向かった。また、途中で、シャムハトはエンキドゥに食事の仕方、酒に関する知識等、人間の世界の物事や風習を教えた。
ちなみに、シャムハトは、エンキドゥと男女関係であったと同時に、赤ん坊の如く常識が通じなかったエンキドゥに社会で生きる為の知識を与えた「親」としての側面も持っていたとされている。実際、叙事詩第2書板においてもエンキドゥの手を繋いで歩くシャムハトの様子は「母のよう」とも記載されている。
*注意*
(原典の叙事詩におけるエンキドゥはちゃんと男として描かれている。原典ではシャムハトは、ギルガメシュの命令で毛むくじゃらの大男のエンキドゥの元に向かったが、型月では、神による命令で教育者として泥の塊状態だったエルキドゥに会いに来たと説明されている。
また、こちらでは、エルキドゥという名で名前が違っていたり、性別も男性ではない事はハッキリされていて、聖娼としての美しさを己に宿して、泥の塊の姿からシャムハトの容姿を模した事でヒトの姿になった。聖娼と同じ姿である事と、模した経緯や、作中で神の泥を母胎として描いている辺りから見ても女性と見る事なら、可能な無性別表記の泥人形である。
また、ヒトの姿になった過程・経緯は、原典のエンキドゥのような性交で力を吐き出したのではなく、健全な関係で共に過ごし語り合った事でシャムハトを尊敬し、また一目見てその美しさに憧れて、聖娼としての美しさを己にも宿してシャムハトと瓜二つの容姿になった(真似た)事で力を失い、入れ替わりに人としての理性と知恵を得てヒトになったので、経緯・過程、容姿、性別、名前などのエルキドゥの様々な設定も、シャムハトとの関係性の設定も、原典の方とは全く違うので、一緒にしないように注意すべし。
このように、シャムハトとは男女の関係ではなく、同性同士の教師と生徒のような親娘のような健全な関係であるのは、とある月の世界限定の話なので、設定なども原典の方と混ざらないように(混ぜないように)改めて、注意が必要である。
ちなみにエルキドゥという名は、エンキドゥの別名でもないし、発音の違いでもないので、原典の方にはない名前である。完全に型月オリジナルの名前だと考えられる。海外では、なぜか同じエンキドゥ名になっている。)