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ロムルス・アウグストゥルスの編集履歴

2012-02-06 21:32:46 バージョン

ロムルス・アウグストゥルス

ろむるすあうぐすとぉるす

第76代ローマ皇帝(在位:475年 - 476年)。 この元首をもって欧州からアウグストォス帝以来ののローマ皇帝の命脈はいったん途切れる。本名ロムルス・アウグストゥス 一年でオドケアルに敗れ退位されるも。ロムルス若かったがためにオドアケルは彼の命までは奪わなかった ロムルスの一家はそこで恩給をもらって過ごした。    小アウグストス帝  世没460年 - 511年以降 

第76代ローマ皇帝 Romulus Augustulus

Romulus Augustus

ロムルス・アウグストゥルス

Romulus Augustulus

世没:460年 - 511年以降


ローマ帝国(ヨーロッパの)最後の皇帝(在位:475年 - 476年)。


ロムルス・アウグストゥルス (Romulus Augustulus) という名前で知られているが、本名はロムルス・アウグストゥス (Romulus Augustus) である。アウグストゥルスというのは小アウグストゥス (Little Augustus) という意味のニックネームである。


ロムルスが即位したのは475年10月31日だが、それから一年もたたない476年9月4日にゲルマン人の将軍オドアケルによって退位に追い込まれた。歴史的にはこの出来事をもって「西ローマ帝国の滅亡」としている。


しかし既に西ローマ皇帝というのはロムルスの時代には事実上なんの権威も持っておらずオドアケルのようなゲルマン人の将軍たちが実権を握っていた。


オドアケルは東ローマ皇帝ゼノンへ西ローマ皇帝位を返上しゼノンが全ローマ帝国唯一の皇帝(もちろん名目上のことである)となり、オドアケルはその代理としてイタリアを統治する、という形式を取った。名目上統一ローマ帝国となった東ローマ帝国は、その後1000年もの長い間を生き延び、1453年まで存続している。


退位後のロムルスは概して幸運だったといえるだろう。というのもロムルスが若かったがためにオドアケルは彼の命までは奪わなかったからだ。オドアケルは実の父でロムルスを帝位につけたオレステスを殺害しているが、ロムルスとその家族は余生を過ごすためにカンパーニャに送っている。


ロムルスの一家はそこで恩給をもらって過ごした。

ロムルスはオドアケルが敗れたあとも新権力者となったテオドリック大王に恩給をもらい続けることができた。


ロムルスは何百年も続くことになる修道院を建てるなどの業績を残したが、536年に(東)ローマ帝国がイタリアの支配権を再獲得するときまで生き延びることはできなかった。


彼をローマ皇帝とみなしていいのかということに関してはよく議論される。


東ローマ皇帝ゼノンもロムルスを皇帝とは認めていない。


ユリウス・ネポスがオレステスに475年にイタリアを追放された後もロムルスがオドアケルによって廃位されたあとですらゼノンやガリアに残ったローマ帝国の将軍たちはネポスを正統な皇帝であると考えていた。

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