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川崎球場の編集履歴

2012-02-18 04:44:48 バージョン

川崎球場

かわさききゅうじょう

テレビじゃ見れない川崎劇場

おおよそ野球ファンでもかなりの人間が誤解していることなので、最初に書いておけば「川崎球場」は、今でもロッテ・太洋時代と同じ場所にある現役の球場である。


ただし言えば、プロ野球ではもちろん使われず、専らアメフトや軟式野球用である。


概要

1951年開場。1954年より高橋ユニオンズの本拠地となるが、1956年に消滅。入れ替わるように太洋ホエールズが1955年から本拠地とする。当時から閑古鳥が鳴くような客入りで主催者発表が100人だったこともあり(当然実数はそれ以下)、太洋時代の巨人戦以外は概ねそんな感じでどちらかと言えばマイナー感漂う球場であった。


1977年、太洋が横浜に移転、代わりに本拠地としたのが当時ジプシー球団で本拠地をもたなかったロッテオリオンズであった。この当時のパリーグは、現在のプロ野球人気斜陽化が可愛く見える程の超低人気ぶりを発揮。その中でもロッテは不人気中の不人気球団として、マスコミで取り上げられるのも「珍プレー好プレー」での「珍」場面ばかりであった。


その例を挙げると

  • カップルが堂々と抱き合いキスをした
  • 観客がスタンドでキャッチボールをした(バレーボールも)
  • 卓と牌を持ち込んで、麻雀を始めた

そして極めつけが「客席の段差を利用しての流しそうめん」であり、こんなことをしても球場側から注意されずに許されるほど客入りは悪かった(ちなみに西の藤井寺球場ではコンロを持ち込んでの焼肉パ-ティーというのがあった)。


1988年、伝説の10.19で全国にそのオンボロさを知らしめ、さすがに球場を運営する川崎市も思う所があったか、開設以来の大改修を挙行。スコアボードをようやく電光化した。この当時テレビでCMを流したが、キャッチコピーは冒頭の「テレビじゃ見れない川崎劇場」であった。


が、結局ロッテは1992年に千葉に移転、その後も細々と2軍戦などをおこなったものの、2000年3月をもってプロ野球球場としての歴史を終えた。その最期の試合はかつて本拠地としたロッテ・横浜戦だったが、狭かった球場らしくロッテ10本塁打で22-6で圧勝、小坂誠が1イニング2本塁打という(小坂に全く似合わない)珍記録も達成した。


10.19余談

10.19については当該項目参照。


この翌年、村田兆治が200勝を賭けた試合をこの球場での試合で登板している。これは本拠地で投げさせて、少しでも観客動員につなげようという苦肉の策で、大入りTVも全国放送となったが、11回投げきるが、そこで打たれて200勝ならず。この空気を読まなかった球団こそ、前年10月19日にこの球場でロッテ有藤によって煮え湯を飲まされた近鉄バファローズであった。

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