世界的観点で見た社会党
「社会民主党」「社会労働党」などの党名を名乗る場合も多い。社会主義の理想を掲げる政党として知られるが、社会主義の多義性に応じてその実態もさまざまである。社会主義と共産主義はイコールではない。手短に言えば数ある社会主義のうちの一つが共産主義ということになる。
ドイツ社会民主党は、その前身のドイツ社会主義労働者党が1875年に結成され、社会主義を掲げる政党としては最も長い歴史がある。ヨーロッパでは(非共産主義の)社会主義勢力が強く、ドイツ・フランス・スペイン・北欧諸国など多くの国で長期間政権を担ってきた歴史がある。
日本の社会党
一番知られているのは、1945年に結成、1996年に社会民主党に改組した日本社会党(にっぽんしゃかいとう)である。初の総選挙では第1党となり、片山政権を作り、その後左右派に分裂、1955年に統合、以降は主に野党第1党となった。同年、社会党再統一に対抗して保守勢力が合同して自由民主党が結成され、保守と革新の2大勢力の中で一貫して保守側が優位を保つ体制が1990年代まで続いた。これは後に「55年体制」と言われるようになった。その後も社会党の左右両派の抗争は激しく、分裂を繰り返しては弱体化が進み、自民党の支配体制を崩すまでには至らなかった。
転機となったのは1986年に土井たか子が委員長に就任してからで、消費税やリクルート事件、宇野首相の女性問題スキャンダルもあり1989年の参議院選挙では自民党に対し圧勝しており、翌年の衆議院選挙でも躍進、この時初当選した議員には仙谷由人、松本龍、岡崎トミ子、赤松広隆など現在の民主党の要職に就く者が多かった。
1993年の新党ブームと反自民ムードは逆に社会党を追い詰め、1990年に増やした議席を大きく減らす結果となった。それでも公明党、日本新党、新党さきがけ、新生党などと共に細川連立政権を樹立するが、実は数の上ではそれでも社会党が第1党だったにもかかわらず、与党内勢力争いでは後塵を喫しており、翌年にはこれが響いて連立政権を離脱。遂には長年の宿敵であった自民党と連立政権を樹立することとなり、委員長である村山富市が首相となったが、逆に自衛隊・原発・安保容認などのこれまでの方針とは180度の転換で、国民や所属議員からの信頼を失う結果となり、これも短命政権に終わる。
この間に行われた各種選挙でも次々に敗退する体たらくで、結局1996年に社会民主党に改組され、約半数の議員は社民党でなく民主党に合流している。
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長嶋茂雄 安保闘争時代「社会党が政権を取ればプロ野球は無くなる」とコメント、社会党は慌てて否定コメントしている。ちなみに土井たか子(兵庫県選出)は阪神ファンで知られる。