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後藤浩輝の編集履歴

2022-04-11 20:43:47 バージョン

後藤浩輝

ごとうひろき

後藤浩輝は日本中央競馬会(JRA)の元騎手。

概要

1974年3月19日生まれ、神奈川県出身。


1992年デビュー、1994年シルクグレイッシュで福島記念を制し重賞初制覇。

しかし若き日の横山典弘騎手に似ていて、若さゆえか素行が悪く性格にも波があった、所属厩舎の師匠(伊藤正徳)と確執が起こる。


1995年伊藤厩舎を出てフリーになり、1996年に武者修行という格好で単身アメリカに渡り、半年間マイアミなどの競馬場を転戦。1997年確かな技術を身に着するとすると46勝を挙げる、1998年には63勝を挙げ初の関東リーディングトップ10入りする(最終的には6位)。


だが1999年8月19日、吉田豊騎手に対して、あの木刀事件を起こしてしまう。

事件の内容的に干されかねない大事だったが、かつての所属厩舎で確執があった師匠(伊藤正徳調教師)が各地に謝罪に回り後藤騎手を競馬界から追い出さないように働きかけた事で、なんとか留まる。その事を後で人づてに聞き人間的・精神的成長を果たし後に和解する。

ちなみにこの事件での処分内容は、騎乗停止4ヶ月であった。


2000年ユーセイトップランでダイヤモンドSを勝ちトレセン火災で被害にあったユーセイトップランと同厩舎のエガオヲミセテへの追悼勝利を挙げる、ゴールドティアラで南部杯を圧勝しGI制覇、初の年間100勝も達成する。


2002年キングザファクトでダイヤモンドSを勝った時はアブトロニックをつけ勝利騎手インタビューに答えるパフォーマンスをし、アドマイヤコジーンで東京新聞杯や阪急杯を勝った時もハチマキを巻いてインタビューに答えるパフォーマンスをした。アドマイヤコジーンで安田記念を勝ち、デビューから11年目でついに中央GI初制覇を果たす。


2003年吉田豊騎手との確執は終わっていなかったのか、秋の天皇賞で大暴走し13着に惨敗、ローエングリンを下ろされてしまう。


2004年マイネルレコルトで朝日杯FSを制覇しGI3勝目。


2006年JCダートをアロンダイトで勝ちGI4勝目。


2007年、一度は降ろされたローエングリンに再び騎乗出来るようになり、中山記念で復活勝利に導き伊藤調教師の恩情へ応えた。


2010年安田記念をショウワモダンで勝ちGI5勝


2011年エリンコートでオークスを制しGI6勝目。


2012年、5月と9月の2度の落馬により大怪我を負い、以降は治療に専念。


2013年エスポワールシチーで南部杯を制しGI7勝、JBCスプリントも制しGI8勝。


2014年4月にまたも落馬で大怪我を負う。11月復帰後初勝利。


2015年2月27日、自殺により死去。

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