松下之綱とは戦国時代の武将(1537~1598)。今川家に仕えた。
概要
元々は近江の六角家の一族。
三河に生まれ、飯尾連龍の配下として今川義元に仕えた。槍術に優れ、兵法にも通じていたという。
一時期織田家に仕える以前の豊臣秀吉が彼に仕えており、秀吉に字や学問を教えたのは之綱だと言われる。
今川家の滅亡後は徳川家康に仕えるが、やがて秀吉に召し出される。
その後長篠の戦いや賤ヶ岳の戦いなどを経て、6000石の知行を得る。
小田原征伐後に家康が関東に移されると加増転封され、遠江久野に1万6000石を得て大名となった。
1598年に死去。享年62歳。
跡は次男の重綱が継いだ。なぜ長男の暁綱が継がなかったかは不明。
戦国大戦
戦国大戦では今川家所属の陽気な武将として登場。なぜか猿回し(猿に芸をさせる大道芸人)。これはおそらく猿がかつて仕えていたことに因んでいると思われる。能力値は低いものの、敵一体を一時的にコントロール不能にするという計略が強力で、今川家の中ではかなり使用頻度が高い。
『ほらほら!難しいことは考えず楽しんで!』
信長の忍び外伝 尾張統一記
第36話のみの登場。一人称は「ワシ」。
あまりにもサルに似ているからという理由で秀吉に興味を示し、家臣に取り立て、その働きぶりを認めて納戸役に任命し重用する。
しかし、秀吉はこれを妬んだ他の家臣からいじめを受けるようになってしまい、この事に責任を感じ、路銀を与える上で別の家に仕官するように薦める。
秀吉自身はいじめに対し、「嫉妬でござるか?出世して顔まで凛々しくなったからって」と言い返す程の打たれ強さを持っていたが、之綱の心遣いに涙を流して感謝し松下家を去った。
その後天下統一した秀吉により大名として取り立てられたことがナレーションで語られる。