江戸時代に発生した大火災・明暦の大火の通称で、名称の由来は下記の伝承に基づく。
伝承によれば、恋煩いの末に亡くなったとされる17歳の少女の形見である振袖が、彼女を弔った寺院の寺男達が転売したのが事の始まりであった。
振袖は別な17歳の少女の手に渡ったが、彼女も亡くなり同じ寺で弔われた。形見の振袖はまたしても寺男達により転売されたが、それを手に入れた少女もまた亡くなり同じ寺で弔われた。
流石に気味が悪くなった寺男達は住職に相談した。話を聞いた住職は亡くなった少女達の親達とも相談の末振袖の供養を行うことにして、お経を唱えながら振袖を炎の中に投げ入れた。
しかし、突如強風に煽られた振袖は空高く舞い上がって本堂の屋根に落ち、本堂は炎に包まれ消化する暇もなく炎が周囲に延焼し、翌日までに江戸の半分以上の家屋が焼失した。