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大姫の編集履歴2022/05/08 21:36:44 版
編集者:とむ
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概要

平安時代末期、鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の長女で母は北条政子。頼朝の最初の子供であり、兄弟には、弟に頼家と実朝、妹に乙姫(三幡姫)がいる。

大姫とは貴人の長女を意味する通称で、本名は不明。本名は一幡とする説があるが詳細は不明(ちなみに妹乙姫は三幡姫とも言われている)。

6歳の時に頼朝と対立した源義仲との和睦のため、鎌倉へ人質として送られた義仲の嫡男・義高と婚約する。親の思惑が仕組まれた婚約であったが、大姫と義高は兄弟のように仲むつまじく、特に大姫は未来の夫となる義高を慕っていた。

しかし、義高の父親である義仲が頼朝との争いに敗北すると状況は一変。頼朝は、利用価値のなくなった義高を殺害する事を決意。侍女たちから知らせを受けた大姫は、明け方に義高を女房姿にさせ、侍女たちが取り囲んで邸内から出して鎌倉を脱出させる。だがそれを知った頼朝は激怒し、部下に追撃を命じた。

義高は潜伏していた場所で藤内光澄によって捕らえられ処刑。しかし、光澄は義高の首を大姫の住む屋敷まで持って頼朝に報告。それを知った大姫はショックのあまり水も喉を通らなくなり、憔悴して病気になってしまう。

政子は大姫の病の原因が義高を討ったためだと頼朝に強く迫り、藤内光澄は晒し首にされた。

この事件によって7歳であった大姫の心は深く傷つき、義高への思いに囚われては床に伏す日々が続いた。

17歳の時に従兄弟の一条高能との縁談話が舞い込むが、亡き義高を恋い慕う大姫は「そんな事をするくらいなら深淵に身を投げる」と拒絶。頼朝はそれ以上縁談を進めることをあきらめる。

その後、頼朝は大姫を天皇のもとへ入内させようと画策したが、大姫の病が悪化したことにより実現することはなかった。

両親はあらゆる手を尽くして、寺院に病気平癒を願ったが、大姫は病から回復する事なく建久8年7月14日(1197年8月28日)に死去した。享年20。

大姫を扱った作品

  • あの日見た桜(スクウェア・エニックス)
  • ひとさきの花 藤野もやむ短編集 ブレイドコミックス(マックガーデン)※あの日見た桜のリメイク版
  • 夢鏡(ゆめのすがたみ) 義高と大姫のものがたり(コバルト文庫)
  • 鎌倉盛衰記<一>海に眠る 義高と大姫(コバルト文庫)
大姫の編集履歴2022/05/08 21:36:44 版
編集者:とむ
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大姫の編集履歴2022/05/08 21:36:44 版