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タジク・ソビエト社会主義共和国(ロシア語:Таджикская Советская Социалистическая Республика、タジク語:Ҷумҳурии Шӯравии Сотсиалистии Тоҷикистон、英語:Tajik Soviet Socialist Republic)は、1929年11月から1991年9月までタジキスタンに存在したソビエト連邦の社会主義共和国。タジクと言う名称は7世紀以前に存在していたイスラム以前の部族が由来である。

歴史

1924年10月に成立したウズベク・ソビエト社会主義共和国の一部としてタジク自治社会主義ソビエト共和国が前身であり、1929年10月にタジク自治社会主義ソビエト共和国のタジク・ソビエト社会主義共和国へ改称する宣言を承認した。同年12月にタジク自治社会主義ソビエト共和国はウズベク・ソビエト社会主義共和国から分離され、タジク社会主義ソビエト共和国となった。

1936年12月にタジク・ソビエト社会主義共和国に改称して成立した。1953年3月にスターリンが死去し、1961年10月に非スターリン化の一環として、スタリナバードはドゥシャンベに改称された。1991年9月にタジキスタンが独立主権国として成立した事で消滅した。

タジキスタン共産党

同国の統治はの配下にあるタジキスタン共産党によって実施され、成立から独立宣言まで継続された。タジキスタン共産党の中央委員会の一等書記官は共和国の事実上の指導者であった。

消滅

1990年11月30日にカハル・マフカモフがタジク・ソビエト社会主義共和国大統領に選出された。1991年8月に野党は大統領の退任・共産党の解散・1990年10月に採択されたイスラム復興党禁止法の再検討を要求した。1991年8月31日に最高会議特別会議において、ソ連のクーデターと関連して共和国の政治状況及び指導部の立場に関する問題が審議された。最高会議の代議員達は野党と連帯してマフカモフ大統領の不信任を表明して退任した。

1991年9月9日にタジキスタン共和国の独立が宣言され、ソ連から離脱して独立主権国として成立した。9月10日に大統領選挙法が採択され、11月24日にラフモン・ナビエフが選出された。しかしこの後も政情は安定せず、タジキスタン内戦に突入する。