概要
タジク・ソビエト社会主義共和国(タジク・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく、ロシア語:Таджикская Советская Социалистическая Республика、タジク語:Ҷумҳурии Шӯравии Сотсиалистии Тоҷикистон)は、1929年12月から1991年9月までタジキスタンに存在したソビエト連邦の社会主義共和国。タジクはペルシア語でアラブ人の意味であると言われ、後にアラブ人からイスラム教を受け入れたペルシア・イラン系の人々を指すようになったとの俗説もあるが根拠は無い。タジク語・ペルシア語・ダリー語では王冠を意味し、単純には冠の人たちの国となり、今でもタジキスタン国内で国名の由来を説明する時に用いられる通説である。
歴史
1924年10月にタジク自治社会主義ソビエト共和国が、ウズベク・ソビエト社会主義共和国の一部として成立した。1929年10月にタジク・ソビエト社会主義共和国に改称する宣言を承認し、首都はスターリンの町を意味するスターリナバードとなり、同年12月にウズベク・ソビエト社会主義共和国から分離されてタジク・ソビエト社会主義共和国が成立した。1961年10月に首都の名称がドゥシャンベに改称され、1991年9月にタジキスタンが独立した事で消滅した。
統治
党の配下にあるタジキスタン共産党が統治し、成立から独立を宣言するまで継続された。タジキスタン共産党中央委員会の第一書記は、共和国の事実上の指導者であった。
消滅
1991年9月にタジキスタン共和国の独立が宣言され、ソ連から離脱して独立主権国となった。同月に大統領選挙法が採択され、同年11月にラフモン・ナビエフが選出された。しかしこの後も政情は安定せず、1992年5月にタジキスタン内戦に突入し、1997年6月に終結するまで続いた。