ウズベク・ソビエト社会主義共和国(ウズベク・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく、ロシア語:Узбекская Советская Социалистическая Республика、ウズベク語:Oʻzbekiston Sovet Sotsialistik Respublikasi、英語:Uzbek Soviet Socialist Republic)は、1924年10月から1991年9月までウズベキスタンに存在したソビエト連邦の社会主義共和国。同国には多くの施設が建設され、教育学者や科学者を訓練する為に新しい学校・技術学校・研究所が開設された。一方で大規模な損失と悲劇の時代もあり、近代的な農業国に変貌したのはこの時期であるが、長年に渡って経済・文化・教育・健康・社会福祉の分野で大きな進歩が見られた。
歴史
初期
1917年11月のロシア革命の後にソビエト権力が樹立され、1918年4月にトルキスタン・ソビエト連邦共和国の建国が宣言された。当時の議会の公文書には「自主的に統治されているトルキスタン・ソビエト連邦共和国は、ロシア・ソビエト連邦の中央政府との行動を認識し、調整している。」と明記されている。同国はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の内部で自治共和国になり、そこにはトランスカスピアン、サマルカンド、セミレチェンスク、シルダリヤ、フェルガナの各地域が含まれていた。
同年5月にトルキスタン軍管区が形成され、1920年3月に党中央委員会は「トルキスタンの自治に関する規則」の決議を採択した。これをもってトルキスタンは「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のトルキスタン自治共和国」である事が強調された。トルキスタンの政府はロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の政府の管轄下にあった防衛・対外関係・鉄道・郵便・電信・財政の問題を除いて、トルキスタンの領土で全ての権力を有していると判断された。
成立後
1924年10月にウズベク・ソビエト社会主義共和国が成立し、1925年2月にブハラが同国の首都になったが、同年5月にサマルカンド、1930年8月にタシュケントに移転した。同地は面積と人口の点で中央アジア最大の都市であり、非公式にソ連の中央アジア部分の首都・同国のトルキスタン軍管区と見なされていた。その後は1991年9月にウズベキスタンが独立主権国として成立した事で消滅した。
独立
1991年8月に最高評議会はウズベキスタン共和国の独立を宣言し、イスラム・カリモフ党第一書記が初代大統領となった。1992年3月の国際連合総会で同国は国際連合に加盟した。
余談
1966年4月に首都のタシュケントを震源地とするマグニチュード5.0の地震が発生し、10人の死亡者と1000人の負傷者が出た。この地震で多くの建物が倒壊したが、日本人捕虜のシベリア抑留者が強制労働で建設した国立ナヴォイ劇場は無傷であり、市民たちの避難場所として機能した。