概要
グルジア・ソビエト社会主義共和国(グルジア・ソビエトしゃかいしゅぎきょうわこく、ロシア語:Грузинская Советская Социалистическая Республика、ジョージア語:საქართველოს საბჭოთა სოციალისტური რესპუბლიკა)は、1921年2月から1991年4月までジョージアに存在したソビエト連邦の社会主義共和国。ソ連時代の生活水準は特に工業化が不十分で、農産物の販売価格が人為的に引き上げられて高収入を得ていた。ちなみにエドゥアルド・シェワルナゼは、インタビューでグルジアをソ連内のオアシスと呼んだ。
歴史
1917年11月にロシア革命が成功に終わった後、ザカフカース委員部が首都のトビリシに設立された。1918年2月に委員部は新たな国家権力機関を創設し、ザカフカース民主連邦共和国の成立を宣言した。1921年2月にボルチャラ地区とアハルカラキ地区で反乱が発生し、革命委員会はジョージア社会主義ソビエト共和国の建国を宣言した。1922年3月に新憲法が採択され、アルメニア・アゼルバイジャンと共にザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国の一部となった。
1936年12月に分離されてグルジア・ソビエト社会主義共和国が成立し、1956年2月にフルシチョフがスターリン批判を展開した事で、同年3月にトビリシで大衆集会とデモが開催されて鎮圧している時に死傷者が出た。1978年4月に再びこの地でグルジア語が公用語としての地位を剥奪される事に反対する大規模な抗議デモが発生し、1991年4月にグルジアが独立した事で消滅した。
独立
1991年4月に最高会議は独立を宣言し、同年5月にズヴィアド・ガムサクルディアが初代大統領に就任した。1992年2月にジョージア軍事評議会は、1978年4月に成立した憲法を廃止した。