概要
スペイン語で『Guerra del Pacífico』。
南アメリカにおけるボリビア・ペルーとチリとの戦争で、太平洋における海上機動戦がメインになったため、この名前が付いている。
1879年から1884年にかけて戦われ、原因となった鉱石から『硝石戦争』という別名がある。
チリが国家の存続をかけ、本気になって戦った数少ない戦争の一つである。
詳細
背景
この戦争前のボリビアとチリの国境は、現在の地図における南緯24度線で、アリカ、イキケ周辺がペルー領、アントファガスタ周辺はボリビア領だった。
事の発端は、この戦争における紛争地域となった場所で、チリの企業がボリビアやペルーから硝石の採掘権を買って操業していたのだが、当時、経済的な苦境に陥っていたボリビアがペルーと秘密裏に手を組んでチリいじめを画策し、チリから搾取しようと目論んだことにある。
要するに国際的なルールが未熟な時代における国家間のカツアゲみたいなものである。
ペルー領ではペルー政府による企業の買い取りという形で進んでいったのだが、ボリビア領ではボリビア政府がチリとの条約に反して税金を上げようとしたところ、その企業が応じなかったためにボリビアが接収した。
これに対してチリでは軍を派遣し、南緯24度線の国境を越えて取り返しにきたことでボリビアはペルーに助けを求めたものの、これがチリに露見してチリは同盟関係の解消を要求。ボリビアとペルーは、これに応じず、本気で怒ったチリが2か国まとめて相手にする戦争へ突入した。
経過
この戦争で、チリは「敗北したら搾取され放題」という危機感を持っていたため、相手国が紛争地域の割譲を受け入れるまで本気で戦った。
戦いは、陸上におけるチリの正面が狭いために海軍主体となり、イキケの海戦、アンガモスの海戦等を経てペルー、ボリビアの海軍は全滅、両国の海軍が全滅したことでチリ軍の進撃の歯止めを失って陸上においても両国の首都(リマ、ラパス)が陥落、足腰立たなくなるまでフルボッコにされ、両国の政府は山奥へ逃げて抗戦を続けたものの、最終的に降伏、チリの大勝で終わった。
講和条約で、チリは望みどおり、南緯24度以北の紛争地域(主にボリビアの沿海領)を領土として手に入れ、現在の国境がほぼ確定した。
後年への影響
この戦争の結果、硝石の産地である地域を自国領として編入したチリは経済的に潤い、その後も銅の鉱脈が見つかったりし、現在におけるこの地域は世界最大のリチウムの産地で、チリという国を戦争による損害以上に発展させる礎となった他、ボリビアによる搾取の脅迫から国を守ったとして、チリにおけるこの時の戦争の戦死者は現在に至るまで英雄扱いである。
また、当時、南米の地域大国であったペルーの没落と南米ABC三大国(A=アルゼンチン・B=ブラジル・C=チリ)の台頭を招き、現在に至るまで大きな影響を及ぼしている。
そして、この戦争の怨恨によってチリとボリビアの間には、現在も正式な国交がない。
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水軍:領海を失ったボリビア海軍。