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今川館の戦いの編集履歴

2022-08-04 20:31:40 バージョン

今川館の戦い

いまがわやかたのたたかい

「今川館の戦い」とは、1487年に起こった今川氏親と小鹿範満との間に起こった戦いである。

概要

1476年、駿河守護であった今川家当主今川義忠が死ぬと、今川家中では跡継ぎを巡って当時まだ3歳ほどであった義忠の遺児今川氏親(龍王丸)と、義忠の従兄弟にあたる小鹿範満とで家督争いが起こった。

当時はまだ氏親は幼く、更に範満には扇谷上杉氏堀越公方の支援があったため、結果的に氏親は敗北し隠遁することになった。

しかし、氏親の母北川殿は諦めず、血縁関係を通じて伊勢貞宗から8代将軍足利義政の御教書(氏親を今川家の正式な当主と認める)を手に入れた。

氏親が15になり元服できる年齢となると、タイミングよく扇谷上杉氏と堀越公方は範満陣営から距離を置き支援をやめていた。(扇谷上杉氏に関しては内乱で支援できる状況ではなくなっていた)

氏親は叔父である伊勢盛時に下向を求めると、当時幕臣であった盛時はそれに応じて下向した。

1487年11月、盛時を加えた氏親陣営は範満の籠る今川館(後の駿府城)を攻撃し開戦した。


結果

氏親軍は小鹿範満が籠る今川館を攻略し、勝利した。小鹿範満は死亡したが、死因は一切不明で、この戦自体あったのか疑問視されている。

氏親は新たな今川家の当主となり、その後は盛時と共に駿河統一に力を入れていった。

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