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魏志倭人伝の編集履歴

2022-09-21 17:18:47 バージョン

魏志倭人伝

ぎしわじんでん

中国の歴史書『三国志』魏書「烏丸・鮮卑・東夷伝」倭人条のこと。

概略

著者の陳寿は西暦233年にに生まれ、蜀の滅亡後に、蜀と並び立っていたもまたに王朝交代して、学才を買われ晉王朝に仕えた人物である。

陳寿は前代の魏の諸資料を利用できる地位にあり、西暦285年に『三国志』65巻を撰述した。


その中に、魏王朝と関係のあった諸種族の記録があり、そのひとつ「東夷伝」の「倭人条」を、『魏志倭人伝』と称している。


記紀神話と魏志神話

上述の通り日本に関する内容が、2000字同書に存在し、邪馬台国卑弥呼台与の伝説が書かれている。


『魏志』倭人伝によれば、もともと「倭国」は、男子を王としていた。

「倭国」の形成は2世紀初めごろとされ、それから70~80年程たったころ、国内に混乱が生じたとし、これを『魏志』倭人伝は、何年にもわたって「倭国」が乱れたと書いている。

そこでこの大乱を収めるべく諸勢力がともに一人の女性を「王」の位につかせる。

この女性の本名は不明であるが、君主の地位についてからは卑弥呼と呼ばれるようになった。

卑弥呼の後、もう一度「男王」に戻そうとするが、国内がまとまらず、また争いが起こったのでしかたなく、卑弥呼と血のつながりはある台与を王につけて、なんとかおさまった。

卑弥呼は「鬼道」をつかさどるという宗教的な権威で、国内をまとめていたとする。


史料的価値

古代日本について記された最古の同時代資料であり極めて重要な資料である。

地理、政治、社会、習慣、産物などが事細かに記されており、大部分が史実とみられている。

この後150年間は倭に関する歴史書が残っておらず、現代日本では空白の4世紀などと呼ばれる。

次に見えるのは宋書夷蛮伝であり倭の五王について言及される。

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