メジャー時代
1981年10月3日、アメリカ・フロリダ州に生まれる。
2003年のドラフト1巡目でジョージア工科大学からボストン・レッドソックスに入団。
その後は、2004年に4チームが絡むトレードにより、シカゴ・カブスへ移籍し、2005年7月8日の対フロリダ・マーリンズ戦でメジャーリーグデビューした。このデビュー戦では、のちに阪神でチームメイトとなるランディ・メッセンジャーがマーリンズの2番手投手として登板し、2打席対戦して右犠飛と右二塁打を放っている。その後はオークランド・アスレチックス、コロラド・ロッキーズでプレーしていた。
阪神時代
2009年、外野手の強化を求めていた阪神タイガースが、獲得した。契約金5,000万円・年俸1億円の2年契約。背番号は9に決まった。マートンの入団と相前後して、チームのレギュラー中堅手で1番打者だった赤星憲広が怪我で電撃的に引退したため、マートンは代わりの「1番・中堅」として期待をかけられた。
2010年の春季キャンプでは評価は低く、野球評論家からは酷評を受けた。だが、オープン戦では好調を維持し、最終的にはシーズン200本安打を記録。イチローの持つ210安打の日本記録を更新し、214安打とし、最多安打を獲得した。
2011年は、開幕戦で先頭打者ホームランを記録するも、春先は打率1割台と不振にあえいだ。また、5月26日の対千葉ロッテマリーンズ戦では、3-1でロッテがリードの8回表、1死走者二塁の場面で、打者の清田育宏が打ち上げたライトフライを捕球した際に3アウトチェンジだと勘違いし、ボールをスタンドに投げ入れてしまうという大失態も演じた。
だがその後は打撃フォームが安定し、180本安打を記録。前年と同様、最多安打を獲得した。
同年シーズン後に2年契約が満了し、メジャーリーグに復帰する可能性も取りざたされたが、再び2年契約を結んで阪神に残留した。
エピソード
2010年9月21日より、関西地区のファミリーマート1,400店舗での限定商品として、阪神タイガースとのコラボ商品である「ファミリーマートンカツおむすび」「ファミリーマートンカツ弁当」など5品目が発売された。