昭和39年11月、池田勇人の明星悪化による退陣をうけ、佐藤栄作が第62代内閣総理大臣に指名された。
政権発足早々の日韓国交正常化から、沖縄返還で花道を飾って昭和47年7月に総辞職するまで、七年八ヶ月に及ぶ長期政権であった(連続政権としては最長記録である)。
政権発足にあたって佐藤は、所得倍増を唱え「寛容と忍耐」のソフト路線をとった「経済の池田」に対して、「政治の佐藤」を打ち出した。
池田の低姿勢を批判し、先送りされた懸案事項遂行のためには野党勢力との対決をも辞さずといった「剛」の姿勢であった。
この「政治の佐藤」という自負心には、高度成長によって経済大国にのし上がりつつあった中で、国内外にわたる新しい政治的枠組み構築への意欲が込められていた。