人物
リュドミラ・ミハイロヴナ・パヴリチェンコ(Людмила Михайловна Павличенко)は、ソビエト連邦の軍人で出身は当時ソ連領だった現在のウクライナ。
第二次世界大戦では狙撃手として活躍し、確認戦果は309人とされている。これは、女性狙撃手としては最も多い数である。
この功績から、ソビエト連邦では最高位の栄誉である連邦英雄の称号を授与されたほか、後輩の女性狙撃手の育成に尽力した。
軍人になる前は学生であったことから、戦後は復学して学業を修め、卒業後は海軍司令部の戦史課に就職。研究助手として戦史の編纂に携わった。1953年に除隊した後も退役軍人委員会などで活動していたが、58歳のときに病没した。