詳細は「ニコライ2世」の記事の「皇太子時代」の項目を参照。
安政元年12月29日(1855年2月15日)生まれ。明治時代の陸軍軍人であり警察官。
1891年、滋賀県大津市にて皇太子ニコライ(→のちニコライ2世として即位)を斬りつけるという暴挙に出る。当時の日本の皇族と同様の扱いで大逆罪によって死刑になりかけたが、大審院院長の児島惟謙によって阻止され無期懲役となった。
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