トゥルイ
とぅるい
モンゴル帝国初代大汗(皇帝)のチンギス・ハーンと正妃ボルテの四男。モンケ、フビライらの父。父の死後、三兄オゴタイ即位まで監国として国をまとめ、猛将としても知られた。兄オゴタイに先立ち死去。
概要
(生没年1192年~1232年)
名は「トルイ」とも。母はボルテ(ジュチ、チャガタイ、オゴタイは同母兄)。モンゴル帝国成立後、チンギス・ハーンに従って転戦し、父の死後は三兄オゴタイの即位まで監国として国をまとめ、父の遺産の大半を得た(※)。
オゴタイが二代目の大汗(だいハーン)へ即位した後、兄に従う形で自勢力の指揮権を返上。その後は金朝の軍の主力を破るなど戦功を挙げたが、オゴタイの軍と合流して帰還する途中に急死した。
死後、次男フビライが五代大汗となった際に、叡宗の廟号を贈られ、景襄皇帝と諡されることなった。
※:当時の遊牧民族は末子(モンゴル語でオッチギン)が父の遺産を存続する風習があった。
家族
正妃であるソルコクタニ・ベキとの間には四人の息子が居た。