秀吉の長浜城主時代、秀長はそれまで多くの領主に転々と仕えていた二十一歳の高虎を破格の三百石で召抱え、以来多くの戦場を共にし、秀吉の天下取りに大きく貢献した。
秀吉の関白叙任とともに秀長は大納言の地位を得、大和郡山百十二万石の太守となり、高虎は三十歳にしてその家老の大任を任されるほど厚く信頼された。
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