概要
(1932年〈昭和7年〉5月1日 - 2009年〈平成21年〉2月2日)。
旧名「山内和弘」(読みは同じ)。
現役選手時代は「打撃の職人」「シュート打ちの名人」「オールスター男」「ミスターオリオンズ」と呼ばれた。また、指導者としてはその熱心な指導ぶりから「かっぱえびせん」の異名を取った。
1952年にパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の毎日オリオンズに入団し、毎日および毎日大映オリオンズ(大毎オリオンズ)で「ミサイル打線」の主軸打者として活躍。後にセントラル・リーグ(セ・リーグ)の阪神タイガース・広島東洋カープでもプレーし、通算19年間の現役生活で打点王4回・首位打者1回・本塁打王2回を獲得。通算2271安打・396本塁打・1286打点を記録した。
2002年に野球殿堂入り。
2009年(平成21年)2月2日19時26分、肝不全のため東京都内の病院で死去(76歳没)
監督・コーチ歴
読売ジャイアンツ (1971 - 1974)
阪神タイガース (1975 - 1977)
ロッテオリオンズ (1979 - 1981)
中日ドラゴンズ (1984 - 1986)(監督)
読売ジャイアンツ (1987 - 1989)
オリックス・ブルーウェーブ (1991 - 1993)
野球フランス代表
阪神タイガース (1995)
和信ホエールズ(台湾) (1998 - 1999)