概要
経歴
天平神護2年(766年)に従五位下、美作守・伊予守・山背守などの地方官を歴任し宝亀9年(778年)に左京大夫となる。延暦元年(782年)に参議、翌年の延暦2年(783年)に従三位、桓武天皇から信頼を受け延暦3年(784年)に中納言となり同年の長岡京へ遷都のため造長岡宮使に任じられた。しかし翌年の延暦4年(785年)に長岡京造営中に大伴氏・佐伯氏などの反対派に暗殺された。
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