セレッソ大阪堺レディース
せれっそおおさかさかいれでぃーす
概要
創設~日本女子サッカーリーグ参入まで
女子のマーケットを拡げようという意図から創設されたチームである。クラブ運営法人である一般社団法人セレッソ大阪スポーツクラブのチーム創設当時の代表理事である宮本功はJFAからのインタビューで「関西という人口が多い土地にあって、サッカー好きも多い。女子サッカーが根付いていないだけなんです。これだけの大都市ですから可能性は十分にある」と語っている。
元々、セレッソ自体はスクールに女子クラスを設けるなどして女子サッカーとの関わりは持っていた。その時、女子サッカーの市場規模が小さいことに着目。しかし、周囲には「事業=Jリーグの興行に持っていけるようにしないと相乗効果は生まれないのでは?」との心配もされたが、女子チーム設立に関わっていた宮本は「事業として直結はしないですが、そこにつながるようにきっかけを作っていく」と責任を背負う形で説得に回ったという。
また、同チームは創設時から『究極の育成型』に拘っており、そのため選手のほとんどは所謂"生え抜き"である。これは創設時当初、女子サッカー界の環境が大人のチームを作れる状況ではなかったためだ。それを受けて宮本は「女子サッカーの市場ができていないまま、お金に任せて大人のチームを作っても、お金がなくなったらそこで終わってしまう。まずは選手を育てていく土壌、仕組みを作らなければならない」と語り、育成型を目指すにあたって「裾野を広げ、市場を拡大しないと強さは永続的には続かないし、女子サッカーも結局しぼんでしまう。一見すごく遠回りに見えるかもしれないけれど、実は一番の近道」と力説する。
この結果、チームは『セレッソ大阪レディースU-15』として中学生主体のチームとして関西リーグ2部からスタートした。ちなみにチーム創設年に当たる2010年は、実は運営法人であるセレッソ大阪スポーツクラブも誕生した年である。関西1部に昇格した2012年には『セレッソ大阪レディース』に改称。この年も中学生主体で10チーム中3位だったこともあってか、日本女子サッカーリーグ当時の最下位カテゴリであったチャレンジリーグへの入れ替え戦予選会の出場権を獲得、"大人のチーム"たちに混じった中でチャレンジリーグへの昇格を掴み取った。翌2013年には現在の名称に改称している。
日本女子サッカーリーグ時代~WEリーグ参入まで
初のチャレンジリーグは、他のチームと異なり体格やフィジカルに歴然の差があったこともあり、慣れるまで3年を要した。1年目はなんとか耐えて自力残留を勝ち取り、2年目はリーグのカテゴリ編成(2部制→3部制)により残留、そして花が開くのは3年目で、東西リーグに分かれたチャレンジリーグで西地区に振り分けられて地区優勝を勝ち取る。そして昇格プレーオフ大会で上位に入りなでしこリーグ2部昇格となった。
花が開いた勢いはなでしこ2部でも続き、2年で突破し遂に1部へ昇格。しかしこの1部でダントツの最下位(参加チームの中で唯一の勝ち点1桁台)となって2部降格する。それでも1年で1部復帰を果たす。以降は1部リーグに定着していく。
2023年からはWEリーグに参入する。ただ、前年度のなでしこリーグ1部での成績は優勝したスフィーダ世田谷に勝ち点で12の差を付けられての4位(12チーム中)であった。育成型をWEリーグで維持するためにも更なる強さを身に付ける必要が今後求められるであろう。
ホームスタジアム
長居球技場。現在はネーミングライツの関係で『ヨドコウ桜スタジアム』の呼称がある。フットボール専用球技場であり、ラグビーユニオンやアメフトの試合も開催可能なスタジアムである。屋根は全席覆われていないので、前の席であればあるほど雨の日はずぶ濡れ必須である。ちなみにアウェイゴール裏は屋根で覆われていない。
育成組織
(現在のトップチームに当たる)当初の中学生チームをそのまま大人のチームへと進化させたので、新たな育成組織として『セレッソ大阪堺ガールズ』を結成。現在はU-18とu-15の2チームを保有しており、また、トップチームのWEリーグ参入に伴いネーミングライツの関係で『セレッソ大阪ヤンマーガールズ』と呼称される。
別名・表記ゆれ
- セレッソ大阪レディースU-15
- セレッソ大阪レディース
- セレッソ大阪ヤンマーレディース - ネーミングライツの関係によるWEリーグ在籍時の呼称