CV:寺田誠
概要
クメン王国の第三皇子。王国親衛隊長を務め、また改革派として知られている。
軍事的な才能にも恵まれ、クメン王国の伝統武術である槍術バランシングにも秀でていた。
王族らしい優れた指導力とカリスマ性を持つと同時に、親衛隊長時の部下であったポル・ポタリアとは「俺」「お前」で呼び合うほどの親友づきあいをするなど、身分差にこだわらない大らかな人物。フィアナやイプシロンにバランシングを指導する際も人格者らしい人柄が垣間見え、ポタリアやモニカ・マーカスなど多くの者に慕われる要素を持っていたと思われる。
神聖クメン王国樹立
急激な近代化を進める王国の方針に反発していた農民を中心とした反政府勢力を糾合、今までの自身の主張とは180度方針転換した「近代化路線反対」を旗印として、かっての宮殿の遺跡を根拠地とした神聖クメン王国建国を宣言し、自らはその国王として反乱を引き起こした。
広大な熱帯雨林のジャングルに覆われた国土を利用し、ビーラーゲリラと称された自軍部隊を各地に分散し、神出鬼没なゲリラ戦に徹したカンジェルマンの戦略にクメン王国軍は苦戦し、傭兵部隊までもが投入された。またカンジェルマンもパーフェクトソルジャーなどの実験を行いたい秘密結社の意図を見抜きながらもその支援を受け、内戦は数年続く事となった。
終局
転機は7214年6月にクメン王国が長年敵対してきたメルキア連邦政府と停戦協定を結び、更に軍事協定をも結んだ事によって生じた。
これによりクメン王国は全力でビーラーに対処できるばかりか、メルキア政府の援助すら得る事が可能となり、形成は一挙に神聖クメン王国不利の状況と化した。
これに危機感を覚えたカンジェルマンは傭兵基地アッセンブルEX-10に大規模な攻撃をかけ、その主力を牽制する一方で、その補給源であるニイタンを主力で叩き壊滅させたが、その有利な状態を利用する事無く撤退した。
また部隊が各地に分散されすぎ、カンジェルマン宮殿防衛が手薄としてその防禦を固めるべきとの部下の進言を聞き、カンジェルマンは全部隊の宮殿への集結を指示。これは各地に兵力を分散しゲリラ的遊撃戦を展開してクメン王国軍を翻弄していた有利な状況を捨てたばかりか、クメン王国軍に宮殿一本に攻撃の的を絞り込ませるような不可解な戦略転換であった。またこの方針変換に撤退を命じられた兵士達からはカンジェルマンはやる気を失ったと思われ、大幅な士気低下を招いた。
それでも傭兵部隊を中心としたクメン王国軍の大軍による宮殿攻撃を前にしても、神聖クメン王国軍首脳陣は宮殿外縁の対AT地雷で相手に半数の被害を与えると計算し、未だ自軍も強力なものであり勝利は疑いないと強気で、カンジェルマンに至っては自軍が弱気だと相手に思わせて敵を引き入れて包囲殲滅する為に本宮殿を捨て、離宮に軍を後退させる事を指示する程であったが、宮殿内に侵入していたクメン王国親衛隊時の元部下であったポル・ポタリアの手により離宮にてカンジェルマンは暗殺された。
旗頭を失った神聖クメン王国はメルキア軍の増援も受けたクメン王国軍によって壊滅し、こうして長きに渡るクメン内乱は終結した。
その真意
カンジェルマンが反乱を起した理由は、自らがクメンの旧体制を象徴する古き者である事に気付き、ならばその象徴としてクメンの旧体制を己の元に糾合させ、クメンの近代化の為にそれを道連れに滅びる事が目的であった。
もっとも自分を疑う事無く付き従ってくれる皆を死なせようとしている事には内心で苦悶していたようであり、旧体制派を一人でも多く道連れにする為とはいえ数年ものあいだ内乱終焉を長引かせたり、最終決戦前にボローに己が真意を洩らしたり、それを盗み聞き、怒りと哀しみで銃を向けてきたモニカに対しても口封じを謀るどころか、彼女を撃つ構えを見せたボローを制止して己を銃口に晒した。親衛隊に扮装してカンジェルマンの元に辿り着いたポタリアとバランシングをする折にも、助けを呼ぶ事も出来たにも関らず、部屋の扉にシャッターを降ろして誰も入れない状態にして、内乱の終末を見届ける事無くポタリアに斃されるという最期を選んだ。また今際の際にポタリアに真意を語る折にも、「自分は地獄に落ちる」と述べている事からも、彼の覚悟の程が窺える。
モニカが怒ったように、彼を信じてついてきた者達にしてみれば、自殺に付き合わされたも同然、たまったものではなかったろうが、それでもカンジェルマンにとっては苦衷の末の決断だった。
このまま不満分子がくすぶり続ければいつかクメンは本格的に2つに割れ、より多くの血が流れ、その間にメルキアに侵略されてしまうかもしれぬ。そうなる前に自分と多少の者が犠牲になり、あえて負け戦を起こして滅びることで、結果的に国がまとまると考えたのである。たとえどんなに恨まれようと、後世に悪名を残そうと、それがクメンのためだと信じて。
そんな強固な意志を貫いてきた彼が、最期まで旧体制派の皆をまとめて滅びの道を進むのではなく、指導者としては一見無責任ともとれる自殺的な最期を遂げ途中退場したのも、もう戦局は如何に転ぼうと神聖クメン王国の敗北は決定的と見極めたからとも取れるが、旗頭の己が居なくなる事でビーラー達を自然解散させ、彼等に生き残る道を与えたかったからなのかもしれない。この辺りは非情に徹し切れなかった彼の人間性の発露であったとも捉えられる。
ともあれクメン内乱を引き起こした彼の悲壮な決断は果たして正しかったのか、それしか方法がなかったのか、神のみぞ知るところである。