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概要

徳川治紀の子、高松藩9代藩主、官位は正四位下・左近衛権少将・讃岐守

経歴

松平頼儀の養子となり文政4年(1821年)に藩主となる。自身と同じく水戸徳川家から高松藩主となった2代松平頼常を崇敬していた。

藩政は貧困状態であり家老木村黙老を会計を行わせ改革を進めた。また塩田開発や砂糖為替などを実行した。

天保13年(1842年)に死去。墓所は高松松平家の菩提寺である高松市仏生山の法然寺…ではなくさぬき市末にある霊芝寺で儒教式に葬られている。これもまた松平頼常を範としたため。

松平頼恕の編集履歴2023/12/17 18:38:11 版