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血液銀行の編集履歴

2023-12-22 08:04:35 バージョン

血液銀行

けつえきぎんこう

血液銀行とは、輸血が必要となる事態に備え、あらかじめ人血を採取、保存し、必要に応じて供給する機関である。システムの類似から銀行という名称があるが、あくまで医療機関の一種であり金融機関ではない。

概要

血液銀行とは、手術や治療に備えた輸血用の血液を管理し、必要に応じて供給する医療機関である。


血液銀行は採血センターで集められた血液を管理し、輸血用に保存するほか、血清、各種血液製剤などの製造を行っていた。また、あらかじめ本人や家族の血液を預かる、預血という制度もあり、預血者は預血証書によって血液を引き出すことができた。


医療機関でありながら銀行の名で呼ばれるのは、このようなシステムが銀行のそれに似るためである。



歴史

1948年、東大の附属病院で輸血を受けた女性が、梅毒に感染してしまうという悲劇が起きる。これは供血者に対するチェックの甘さと、採血後の管理方法に問題があったことが原因とされ、事態を重く見たGHQは日本政府に対し、早急に血液銀行を設置し、血液の適切な保存管理を行うよう求めた。


1950年、大阪に日本初の血液銀行である日本ブラッドバンクが開設される。日本ブラッドバンクは大阪と神戸に採血プラントを置き、1か月で1万5,000人、採血量3,000リットルを目標とした。これを魁として、福岡血液銀行や富士血液銀行など、全国に次々と血液銀行が設立されていく。

これらの民間血液銀行では広く供血を募るため、一定の価格で血液を買い取る形(買血)をとっていた。


1952年には日本赤十字社による日赤血液銀行が設立されたが、こちらは善意に頼った無償での供血(献血)を呼び掛けていたため、成果ははかばかしくなかったという。


売買血の問題

1956年、血液利用の適正化と供血者の保護を目的とする「採血及び供血あつせん業取締法」(採供法)施行。


買血制度により保存血輸血が普及し、供給は安定したが、別の問題が起こっていた。


買血の価格は当初かなりのもので、一度売れば数日は暮らせる程だった。そのため手持ちの金が尽きると安易に血液を売るという行為が横行し、ついには赤血球不足で血が黄色く見えるというおぞましい例が増えていった(黄色い血問題)。


血液を売るのは貧乏な学生や肉体労働者が主であり、特に後者の層には覚せい剤の回し打ちなどによって感染症に罹っているものも多かった。こうした危険な供血者を暴力団がまとめて提供し、その上前をハネるなども珍しくなく、さらに血液銀行でのモラルも低下して検査もおざなりになっていたため、医師たちは輸血の際、20%程度の感染症リスクを見込まねばならなかった。


こうした状況の中、1964年、親日派の米外交官として知られたライシャワーが暴漢に襲われ負傷、輸血を受けたために肝炎に感染してしまうという事件が起きる(ライシャワー事件)。

これをきっかけとして政府は血液の提供を献血に切り替えるよう閣議で決定。売買血には厳しい規制がかけられ、血液銀行は業態の転換を命じられた。


その後

採血事業は献血によって日本赤十字社のみが行うこととなり、血液銀行は医薬品製造や医療機器の販売、研究所などにその業態を変えていった。

なお、日本初の血液銀行だった日本ブラッドバンクは、1964年、社名を「ミドリ十字」へと変更し医薬品製造業となるが、1980年代に非加熱製剤による薬禍(薬害エイズ事件など)を引き起こした後、1998年に他社との合併により法人格としては消滅している。


2023年現在、独立した医療機関としての血液銀行は存在しないが、病院内で血液を管理する部署について「血液バンク」の名称が残っている。



余談

かつて「吸血鬼が血液銀行を襲撃し、保存血液を強奪する」という定番ギャグが存在していた。ジョージ・ハミルトン主演のロマンチックコメディ『ドラキュラ都へ行く』(1979)でも、主人公のドラキュラ伯爵が飢えを癒す手軽な方法として、下僕と共に血液銀行で強盗を働く場面がある。



関連タグ

水木(鬼太郎シリーズ):昭和30年代を舞台とする『墓場鬼太郎』等の鬼太郎シリーズで、血液銀行に勤める青年。墓場鬼太郎では売買血が物語の重要なファクターとなっている。

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