ごく初期の原始宗教から体裁が整えられていくにつれ、多くの宗教に地獄の概念が形成されている。閉じられた世界に亡者を収容し、罪人として痛みと苦しみによる責苦を加えて罰を与える。
宗教的世界観により、与えられる罰や苦しみの意味合いが異なる。
世界三大宗教と呼ばれる、仏教、キリスト教、イスラム教の地獄を例に地獄の責苦を示す。
イスラム教における地獄はジャハンナムと呼ばれ、七つの階層があるとされる。
いずれも、炎、火炎の熱地獄であり、高熱による体への責苦を受ける。階層はイスラム教徒の落ちる一番軽いものから、キリスト教徒が落ちる地獄、仏教などの多神教徒が落ちる地獄に分かれている。一度収容された地獄から出される事は永久に無い。また、飲み物は熱湯で棘のある実(ザックーム)を食べさせられる生活そのものも地獄の責苦である。
キリスト教では、九つの濠(ほり)に分かれた円錐状の地獄が形成され、七つ目の濠は三つ、八つめの濠は十、九つめの濠は四つの嚢(ふくろ)に分かれて対象者を収容する。蜂に全身を刺されるものから始り、妖獣に喰われるもの、沸騰するタールで煮られるもの、刀剣で身体を離断されるもの、氷漬けで罰せられるものなど、二十三種の責苦が用意されており、決められた地獄に一度落ちた者は決して移動する事は無く、ただ一種の同じ責苦を永遠に受け続ける。(宗派により永遠で無く許しが与えられる場合もある)
これら一神教における地獄では、罪人としての死者は更生を目的とせず、徹底的に責苦が施される。神が怒りの罰を与える事が責苦の目的であり、永遠に、ただ一種類の責苦を与え続けられていく。
唯一、ただ一人の神を信仰する事を求められる為、多神教徒が他の神を信仰する事は許されない。いずれの地獄にも、多神教徒専用の地獄が用意されており、相当に重い地獄の責苦を与えられる様になっている。
イスラム教、キリスト教とも第六の地獄がそれにあたり、イスラム教では徹底した熱罰、キリスト教でも同様に、火炎が吹き出す自分の墓穴に閉じこめられ永遠に焼き続けられる責苦を受ける。
仏教世界では、魂は輪廻転生により、天界、人間界、阿修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の六界のいずれかに繰り返し生まれる。最上の天界をもってしても、死を逃れられない苦しみの世界であり、六界から解脱し仏となる事を最終目的としている。
そのうち地獄界は苦しみの世界とされ、無数の責苦が用意されている。責苦を受ける事で償いと反省を行い、自身の更生を行なっていく。
地獄界に入る者は、八つの大地獄のうちの一つに落ちる事になる。大地獄には舌抜きからはじまり、釜茹でや鋸曳き、火炙りなど無数の刑種が用意されていて、それこそ無限の地獄の責苦を亡者に与える事が出来る。その様子は図版などにも描かれており(国宝として指定されているものなども多数ある)広く伝わっている。これらの図版から読み解けるのは、例えば大釜に入れて油で揚げる(油で揚げるという調理方法が伝来した)、毛抜き(身分の高い者から使われ始めたと思われる)が責具として使用されたりと、当時外国より伝わった最新の調理法、器具が使用されている事である。また、本来日本には居ないはずの象などが責苦を与える獄士として描かれているなど、時代に応じて最先端の物を取り入れている様である。
大地獄では、慣れるという事も無く幾らでも責苦が作られる為に、どんな罪を犯した者でさえ完全に償う事が出来る。また、人が犯す象徴的な罪を罰する為に大地獄にはそれぞれ十六づつの特別地獄が付属している。大焦熱地獄だけは十八の別処がある為、全ての地獄総数は百三十八になる。この特別付属地獄では、ただ一種類の刑罰を徹底的にやり抜く。ただ一種の罰を受け続ける事は、一神教の地獄の責苦と同じといえる。違いは、絶対に永遠に許しの時が訪れない一神教の地獄と違い、更生を目的とする責苦には必ず終わる時が来る事だ。
ただし、地獄での時間は六界の中で最も遅く、大変に長期に渡る期間、地獄の責苦を受け続けていく。
いずれの地獄世界も、獄卒と呼ばれる鬼が責苦処置を実施するが、一神教の獄卒は神の怒りを与える存在であるが、仏教の獄卒の場合は、亡者それぞれの罪の償いの為に責苦を与える。地獄界より転生する為には自身の罪を全て償う必要があり、その為に亡者自身が獄卒を生み出しているという考え方もある。地獄そのもの、責苦そのものも、亡者自身が望んで求めるのかもしれない。地獄界への入獄が確定するには、死後、閻魔王を含む十人の裁きを受ける必要があるが、その最終選択決定するのは、実は亡者自身なのだ。選択は六つの世界に通じる六つの鳥居が用意され、どの鳥居でも自由に選ぶ事が出来る。最終選択として自ら地獄を選んだ者は、自分自身が自ら選んだ世界に入り、地獄の責苦を受けていく。仏教世界では、苦しみも責苦も全ては亡者自身の為にあるとも言える。必要な者には、さらに八つの寒大地獄も用意されている。その責苦も、亡者自身の為のものだ。
地獄の責苦をうける期間は最も罪の軽い一番目の等活地獄の五百年間、二番目に罪の重い黒縄地獄は一千年間、最も重い八番目の阿鼻地獄の約八万年間と一つ罪の重い地獄に落ちる度に二倍の期間となる。ただし、一つ下の地獄に行く事に時間の経ち方も二倍になる為、実際には四倍の刑罰期間となる。そして、そもそも時間の経ち方が地上より遅く、最も短い等活地獄の五百年間を過ごす為ですら、人間界の一兆六千六百五十三億年間の時間が必要なのだ。必ず、許しは訪れるが、凄まじい期間を地獄の責苦を受ける。