アトランタオリンピック
あとらんたおりんぴっく
概要
アトランタオリンピックとは 1996年の夏季オリンピックである。
1996年7月19日から8月4日にかけてアメリカ合衆国・アトランタで開催された。開催は1990年に日本の東京都港区で開催されたIOC総会で決定された。
有名なメダリストはグレコローマン・レスリングの130キロ級で3連覇を達成し、霊長類最強の男とも称されたアレクサンデル・カレリンや陸上短距離種目で2冠を達成し、12年後に破られるまで200mの世界新記録を保持していたマイケル・ジョンソン、後年にボクシングでヘビー級世界王者となった、スーパーヘビー級で金メダルを獲得したウラジミール・クリチコがいる。
日本選手の状況
日本人では後年に3連覇を達成する柔道の野村忠弘が最初の金メダルを獲得したのをはじめ、田村亮子が2大会連続メダル(銀)を、マラソンの有森裕子が2大会連続メダル獲得した。また、サッカー日本代表が第1戦でブラジル代表に勝利する「マイアミの奇跡」が起きている。
しかしメダル獲得数は金3、銀6、銅5の合計14に終わり、さらに柔道を除けば金0、銀2、銅4という1964年の東京オリンピック以来最低の結果となってしまった。特に水泳はオリンピック前の大会では好成績を収めていたが、いざ本番になると嘘のように伸び悩み、シンクロナイズドスイミングを除くとメダル0という結果に終わってしまった。このような惨状になった原因は世界がプロ化が進んでいたのに対して日本はアマチュアリズム体質が抜けられず、さらにバブル崩壊により企業チームが相次いで廃部となり練習環境が整わなくなってしまったことが挙げられる。
また、国のサポートも希薄さ(例えば当時の共産圏では金メダルを獲得すると生涯の生活が保証され、西側諸国もスポンサーなどから数千万から数億のボーナスが出たが、日本はJOCから300万円が支給されるのみで、スポンサーや企業からのボーナスはアマチュア規定で禁止されていた)や役員との待遇差(アトランタへ移動する際選手はエコノミークラスだったのに対し役員はビジネスクラス)、さらにメディアも協会や企業スポンサーに忖度して実力からかけ離れた期待を連日報道し、期待外れに終わると掌を返して批判する状況であった(特に水泳の千葉すずに対してのバッシングは凄まじく、日本水連もメダル0に終わった責任を千葉に押し付けるあり様であった。)。
このような惨状に国もようやく重い腰を上げ始め、企業に属さないプロ選手に対して指定選手として強化資金や練習環境を提供したり、協会を通さずにスポンサー契約を結ぶことを許可。また、野球をはじめ各協会もプロ選手の参加を許可するなど改革に乗り出すことになった。その結果4年後のシドニーオリンピックで復調の兆しが見え、8年後のアテネオリンピックではメダルラッシュに沸くことになった。