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銀貨の編集履歴

2024-03-13 20:06:01 バージョン

銀貨

ぎんか

銀を主成分とする貨幣

を主成分とする貨幣


概要

銀は砂金として回収出来る金と比べると、回収が難しく、鉛や水銀を使った抽出が必要になる。

従って、技術レベルが低い時代は金貨より高価だったが、地殻における存在量自体は金より多いので、抽出技術の進歩と共に値が下がって行った。

銀貨が使われると言う事は、相応の抽出技術を持った国である証拠と言える。

ヨーロッパでは古代ローマ時代にイスパニアやルーマニアの金山が掘り尽くされて以降は、金地金を安定して算出する事が出来ず、チェコやドイツ南部の銀山から採掘された銀が基軸通貨として使われた。


概ね

・古代ローマ時代:金1:銀11

・江戸時代初期:金1:銀10

ナポレオン帝政期:金1:銀15.5

日露戦争時代:金1:銀32

・2024年初期:金1:83

と電気精錬技術の確立で金に対する価値が劇的に低下した。


銀貨は秤量貨幣として使われる事も多く

・切り取って使う古代メソポタミアのコイル状の銀線

・鏨でカットして使う事を想定した日本の古丁銀

・中国の馬蹄銀

等が有名。

古代ギリシャでは小アジアのリディア王国やリディアを征服したアケネメス朝ペルシャのコイン製造技術が流入した事とアテネの独裁者ペイシストラトスが領内の銀山を大開発した事から、ドラクマ銀貨と言う計数銀貨が大量生産され、以降の西洋の基準となった。

逆に東洋では、日本で計数金貨が大量生産されるようになった後も、銀貨は秤量銀貨が主流であり、徳川家治が明和南鐐二朱銀を発行するまで、計数銀貨は作られなかった。

その計数銀貨も家治の頃は市場の純銀価格に若干の製造費用を上乗せした程度の価値に調整されていたが、家治の二代後の徳川家慶の時代には幕府の財政策の一環として市場の純銀価格の2倍の価値を付けた天保一分銀を大増産してしまい、開国後に経済混乱を引き起こす原因となってしまった。

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