概要
本来の演劇における意味としては『対話劇』が正しい名称だが、誤用である『会話劇』が広まった現在では、ほぼ同義語として両者が扱われている。
本項では主に『対話劇』について説明し、演劇においての『対話』と『会話』の区別も述べる。
一般用語の『対話』と『会話』
一般用語では、『対話』とは双方が向かい合って話し合うことであり、『会話』は複数人が共通する話題などを互いに話すことである。
『会話』は『対話』とは異なり、別段『話し手と聞き手が向き合う』という意味は含まれていない。
『対話』は英語でいう『ダイアローグ』(dialogue)に相当し、語源であるギリシャ語の『dia』(〜を通じて)+『logos』(言葉)を見ても、双方向のやり取りを意味することがわかる。
また『ダイアローグ』は一人芝居の意味を持つ『モノローグ』の対義語であり、演劇用語では二人以上の登場人物による対話での台詞、すなわち『対話劇』も意味する。
演劇においての『対話劇』
対話劇とは、文字通り対話を中心に構成される劇、つまり妙味に富んだ台詞のやり取りが見どころとなる劇を指す。
劇そのものだけではなく、劇中の一場面が『対話劇』と称されることもある。
近代劇の大半がこの傾向にあるのは、19世紀以降のリアリズム演劇の流行により、対話を主とする戯曲が数多く書かれるようになったため。
それ以前には登場人物が心情などを一人で語る『独白』や、観客に向かって台詞をしゃべる『傍白』とともに、対話も場面に応じて使い分けられていた。
しばしば対話劇は二人芝居・三人芝居など、演者は少人数に限るものと誤解されがちだが、登場人物が二人以上というだけで人数は取り立てて想定されていない。
肝要なのは登場人物が対話する場面が、その劇の見せ場と言えるかどうかである。
演劇においての『対話』と『会話』
一般用例に挙げたように、『対話劇』の対話とは単なる会話ではなく、登場人物が互いに自身の考えや心境を向き合って話すことを意味する。
この『向き合う』とは身体に限らず、心理的な意味も含める。
無論、劇中に『会話』が演じられる場合もある。
群衆や通行人役が雑然としたおしゃべりを演じていれば、それは会話を交わしていることに他ならない。
もしくは登場人物たちが自然に何か行動しながら、観客には意図が不明な会話をしているところに、新たな人物が現れ意味のある『対話』が始まる。この手法は大抵幕開き早々に用いられる。
上述の通り、会話ばかりでは芝居が成り立たないのは自明であり、従って『劇』と形容するなら『対話劇』が正当となる。
エチュードでの『対話劇』
台本なしに即興で演ずるエチュード(即興劇)でも『対話劇』は頻繁に行われる。
登場人物や場面の設定だけを与えられ、アドリブで役を演じなければならないエチュードでは、自ずと対話で寸劇を作ることになるからである。
朗読劇での『対話劇』
朗読劇とは、演者が台本や小説、詩などを音読する手法の劇。
朗読劇の中には役を演じながら音読するものがあり、場合によっては『対話劇』も兼ねる。
通常は台本などを手にしたまま読み上げるので動きはあまりつけられないが、スマートフォンやタブレットを用いることで、より舞台演劇に近い掛け合いが可能とされている。
比喩としての『対話劇』『会話劇』
英語の『対話』に当たる『ダイアローグ』は、二人以上の人物間の会話文で構成される文学作品も指す。
となると小説中の人物が言葉のやり取りをする場面は、比喩的に『対話劇』であるとも言える。
しかし小説においては、本来は誤用の『会話劇』と称されることが多い。
総じて会話文を多用する小説や、地の文がなく会話文のみで物語が展開する場合に『会話劇』とたとえられるのを踏まえると、共通する『会話』の一語による誤用と思われる。
ただし『〇〇劇』のような接尾語として『劇』を扱うのであれば、単に一連の会話シーンを演劇に見立てているという意味になり、『会話劇』と称しても的外れではない。
『対話』をせずとも展開が可能な小説等においては、『会話劇』の方が語義として妥当な場合が多々ある。