概要
EDMジャンルの中でも、世界で最も有名なアーティストのひとり。2013年に発表した"Animals"の世界的ヒットをはじめ、2010年代のビッグルーム、プログレッシブ・ハウス系統のEDM潮流の第一線を引っ張り続けている。
世界で最も大規模なダンスミュージックフェスティバルのひとつであるUltra Music Festivalにも、17歳でヘッドライナーに名を連ねており、それ以降世界規模のEDMイベントにも絶え間なく出演している。
経歴
幼少期
1996年5月14日、北ホラント州アムステルフェーンにて生を受ける。出生名は"Martijn Gerard Garritsen"で、DJとしての名前にも用いられている。彼が音楽の世界へと足を踏み入れたのは弱冠4歳。ギターを習い始め、音楽への道を歩み始めた。
転機は、彼が8歳のときにいきなり訪れた。2004年、アテネオリンピック(2004年)のオープニングアクトを務めたTiëstoのパフォーマンスに衝撃を受けたマーティンは、すぐさまDJへの憧れを抱くようになった。
13歳の頃にはDJとしてプレイするようになり、そのパフォーマンスで既にお金を稼げるようになっていたという。しかしマーティンは、さらなる高みを目指すため、ユトレヒトの「ザ・ハーマン・ブラッド・アカデミー」で本格的なスキルを学び始めることに。
鮮烈すぎるDJデビュー
アカデミーでの懸命な学びの甲斐もあり、16歳の頃には世界的レーベルであるSpinnin'Recordと契約。勢いのまま、同じく将来を嘱望されていたJulian Jordanと"BFAM"を共同リリースし、有望なDJに贈られる賞を受けた。そして翌年となる2013年、EDMシーンを一変させることとなるAnimalsをリリース。当時の最先端だったハードキックをふんだんに使用したこのビッグルーム・サウンドは、最終的に全英チャート1位を獲得する大ヒット曲となった。
YouTubeで再生回数17億回(2025年2月現在)を誇るメガヒットを飛ばしたマーティンは、EDMシーンで最も権威あるランキングであるDJ MAG TOP 100 DJsでも、いきなり40位にランクイン。翌年の2014年からは、UltraやTomorrowlandといった世界トップクラスのイベントにも、ヘッドライナーとして出演するようになった。
2015年には、憧れの存在だったTiëstoとコラボ曲The Only Way is Upを発表。翌年には自身のレーベルであるSTMPD RCRDS(スタンプド・レコーズ)を立ち上げ、後進の育成にも注力している。
世界NO.1DJとして
DJ MAG TOP 100 DJsでは、2016年に初のトップを獲得すると、そのまま2018年までの3連覇を達成。20代前半にして、EDMジャンルの寵児として、押しも押されもせぬ絶対的存在へと進化を遂げた。しかしその中でも飽き足りることなく、今でもフェスのド定番であるHigh On Lifeや、BeBe Rexhaとのコラボ楽曲In The Name Of Loveをリリースしている。
新型コロナウイルス感染症流行に伴ってEDMシーンが休止するも、彼は新たな楽曲を次々に準備していた。コロナ禍が明けた後も、レーザー演出が印象的なBreakawayや、新たなアンセムとして君臨するStarlight(Keep Me Afloat)などを発表している。
また、慈善活動にも積極的に参加しており、がんと闘うチャリティー団体を支援。2024年には、がんを患う子供たちにDJを教えるというイベントも主催している。
世界No.1のDJという肩書を持ちつつも、飽くなき創作を続ける彼の活動に、今後も注目が集まる。
日本との関係
DJには親日家が多いことが有名であるが、その中でもマーティンは筋金入りの日本好きで知られている。自身のSNSで「日本が世界で一番好きな場所」と公言しており、お忍びで来日することもしばしば。
彼のSNSには定期的に来日したと思われる際の様子が映っており、そのことも日本のGarrixer(マーティンのファンの通称)を熱狂させている。
また日本開催のフェスにも度々登場しており、Ultra Japan2014での初登場を皮切りに、GMO SONIC2025などのフェスにもヘッドライナーとしての出演歴がある。
余談
彼を語るうえで外せない楽曲のひとつが、2015年にリリースが示唆されたものの、まさかのお蔵入りとなった"Rewind Repeat It"。世界的シンガーソングライターのエド・シーランとコラボした楽曲だったが、権利問題の関係か正式発表は見送られることに。ただ今でも、フェスでかかった際の様子を見ることはできる。