秋篠宮妃紀子
あきしののみやひきこ
基本情報
1966年(昭和41年)9月11日、学習院大学名誉教授・川嶋辰彦(1940〜2021)の長女として静岡県で生まれる。
幼少期は父の海外赴任の影響で長期に渡りアメリカ合衆国やオーストリアで過ごすこともあった。
1979年(昭和54年)に帰国し学習院女子中等科へ編入、同高等科を経て同大学文学部心理学科へ進学。
学習院大学在籍時、当時心理学科にいた1学年上の礼宮文仁親王(秋篠宮文仁親王、メイン画像左)と知り合い、サークル活動を通して交際を深めていた。1989年(平成元年)、皇室会議において2人の婚姻が内定し、翌年6月に結婚の儀を執り行うと同時に秋篠宮家が創設された。
2人の間には1男2女がいる。第一皇女・眞子内親王は平成3年(1991年)に、第二皇女・佳子内親王は平成6年(1994年)に、第一皇子・悠仁親王は平成18年(2006年)にそれぞれご生誕。
2019年5月、皇太子・徳仁親王が天皇に即位。これに伴い夫の文仁親王は「皇嗣(皇太弟)」となり、自身も「皇嗣妃」となった。
エピソード
佳子内親王曰く、明るく優しく前向きな性格でいらっしゃる。
皇族入りする前に自動車免許を取得しており、皇族の間では両殿下とも唯一、免許持ちと言われており、その後小室眞子氏や佳子内親王は大学時代に、悠仁親王は大学入学前に取得された。
英語が堪能で、ドイツ語も日常会話に困らない程度に話される。
アクシデントでイベントが中断した際は、即席で英語でスピーチをされたほど
更に手話に明るく、国際親善では各国に対応した手話でスピーチを行われている。
皇嗣殿下とはおしどり夫婦で、階段を登ることが苦手な殿下の肘を支えたり、自然に手を組まれる微笑ましい様子も散見される。
ご婚約が決まった際は国民達から「こんなお姫様みたいな人がいるんだ」と感嘆された。
父辰彦氏の母方の祖父(妃殿下の曽祖父)は大阪府の発展に尽力した池上四郎。
会津藩の血縁者となるため、雍仁親王妃妃勢津子からは気にかけてもらっていた。
雍仁親王妃殿下は子を遺すことはできなかったが、文仁親王妃殿下は会津藩の血を引く親王をお産みになられたのだから、とんでもない奇跡である。