概要
1815年4月1日~1898年7月30日
ドイツ統一に奔走したプロイセン最後の宰相。そしてドイツ帝国最初の宰相である。
軍備の拡張を行い、戦争も辞さない強気の姿勢でプロイセン中心のドイツ統一を行うべきだという趣旨の演説を行った事から"鉄血宰相"とあだ名された。
普仏戦争でフランスのナポレオン三世を倒し、主君のプロイセン王ヴィルヘルム一世をドイツ皇帝として即位させた(プロイセンを愛するヴィルヘルム一世はドイツ皇帝になることを拒んだが、ビスマルクが説得し皇位につけたという)。
基本的には保守派であるが、しかし保守イデオロギーに固執しすぎず、必要なら自由主義者や社会主義者とすら手を組んだ。社会主義者ラサールの意見を取り入れて強制加入の社会保険制度を創始する一方、反体制派の社会主義者は社会主義者鎮圧法で弾圧したのはその一例である。
マキャベリを模範、ナポレオンを反面教師とし、現実主義に基づく政治手腕は卓越したものがあった。
今日でもドイツの保守派の政治家から英雄視される人物である。