来歴
1969年10月16日東京都生まれ。
大学時代はアメフトの選手として活躍。その後アニマル浜口ジムで身体を鍛えた後、全日本へ入団。入門後はなかなか芽が出ずにいたが、同世代の秋山準とのタッグでアジアタッグ王者(防衛回数歴代2位の12回)やスタン・ハンセンからパートナーとして指名されるなど、徐々に力を付けていった。馬場がビンス・マクマホンから選手貸し出しの依頼を受けた際に大森が指名され、1996年、WWF(現WWE)のロイヤルランブルにてランブル戦に参戦している。
1999年、アックスボンバーを必殺技とすると上昇のきっかけをつかみ、同時期なかなか王道プロレスになじめないでいた高山善廣とのタッグを結成すると、双方の伸び悩みの種だった粗さが良い方に回転し始め、ふっ切れたように派手な(ぎこちない)アピールを繰り返し、今までの全日本になかった異色のタッグとして頭角を現し、NO FEAR(ノーフィアー)というチーム名を名乗り始めた直後、ハヤブサ・新崎人生組からアジアタッグ王座を獲得したのに続き、ジョニー・エース&バート・ガン組をも破り世界タッグ選手権王座も獲得。全日本プロレスが管理するタッグのベルトを同時に保持するという史上初の快挙を演じた。
2000年には、チャンピオン・カーニバルのトーナメント第1回戦で、その1か月前シングルで三沢超えを果たし優勝候補に上げられていた秋山と対戦し、入場時を襲いわずか7秒(ゴングの鳴る前を加えると約30秒)で下すという伝説的勝利を挙げる。準決勝でもスティーブ・ウィリアムスが試合前のロープチェックをしているときにアックスボンバーで奇襲。激怒したウィリアムスの激しい場外戦も切り抜け、アックスボンバーで沈め決勝進出を果たし、日本武道館のメインのシングル戦に挑む。決勝では小橋健太に敗れ準優勝に終わるが、三沢率いる「新生全日本」の象徴となる活躍を見せた。
同年8月、三沢光晴らとともに新設されたプロレスリング・ノアへ移籍。2001年12月には、高山とのタッグでGHCタッグ王座を獲得するも、初防衛戦で敗退。以降、高山との方向性の違いも表面化し、てタッグチーム解消。
2002年6月にノア所属のまま渡米。まずはノア役員であるハーリー・レイスの元に預けられアメリカマットを転戦。7月10日には旗揚げしたばかりだったTNAのPPV大会に参戦。遠征第1戦目でいきなり時のNWA王者ケン・シャムロックの王座への挑戦者に抜擢されると互角に渡り合い、強烈なインパクトを残した。その後は初のシングルタイトルも獲得し2003年2月に帰国。当初はノア所属のままの予定だったが、ここでノアを脱退。
その直後、2003年3月1日に旗揚げ予定の新団体WJプロレスへの参戦を明らかにした。WJでは越中詩郎とともに「レイバーユニオン」を結成して活躍。天龍源一郎、長州力の二巨頭からシングルでピンフォールを奪う実績を作った。
2004年2月には越中と2人でゼロワンに乗り込み、2002年プロレス大賞最優秀タッグの炎武連夢(大谷晋二郎・田中将斗組)と対戦。炎武連夢からNWAインターコンチネンタルタッグを奪取し、最多防衛記録も樹立した。
この間、全日本プロレスに移籍した武藤敬司とも2度戦い、共に敗れている。1戦目はゼロワンマット、2戦目はチャンピオン・カーニバルでエプロンから場外への断崖式アックスギロチンドライバーなどであと一歩まで追い詰めるが、一瞬のスキを突かれフランケンシュタイナーで敗れる。
その後もゼロワンには継続参戦し、火祭りで準優勝。
ZERO1-MAX(ゼロワンの後継団体)の旗揚げには所属選手として参加。旗揚げ戦ではジャンボ鶴田・マサ斎藤に次ぐ日本人3人目のAWA世界ヘビー級王者となった。
2005年11月には若手育成を目的したユニット「アックスボンバーズ」を結成。指導者、リーダーとしての一面も見せている。2006年1月4日の東京ドーム大会で新日本に初参戦。越中詩郎とのタッグで蝶野正洋&天山広吉組の持つIWGPタッグ王座に挑戦した。2006年4月1日、靖国神社相撲場で行われた大谷晋二郎との一戦に勝利し、再度AWA世界ヘビー級王座を獲得した。
2006年5月31日の6人タッグ(後楽園)で新日本プロレスの中西学と対戦しこれを契機に越境タッグを結成。結成後の初戦(6月24日ディファ有明大会)でNWAインターコンチネンタルタッグに挑戦し王座を獲得。2戦目(7月17日札幌月寒大会)には新日本マットでIWGPタッグ暫定王座の奪取に成功した。9月20日付けで、蝶野&天山組の持つ第48代IWGPタッグ王座は剥奪され、同日付けで正式に第49代IWGPタッグ王者となった。これにより、大森は史上初の4大タッグ(世界タッグ・IWGPタッグ・GHCタッグ・NWAタッグ)制覇を達成。なお、3大メジャーのタッグを制覇したのはベイダー、高山善廣、永田裕志に続き4人目である。タッグチーム名は「ワイルドチャイルド」とされた。
9月22日後楽園で村上和成とシングルで対戦、ラフファイトで応戦したものの松永光弘の乱入もあって大流血・敗北した。12月27日後楽園ではかつてのタッグパートナーである高山善廣の襲撃を受けた(試合はノーコンテスト)。
2007年3月、NWAインターコンチネンタルタッグをかけてタイトル戦を行い(大森・中西VS高山・佐藤耕平)、佐藤からフォールを取られタイトルを失う。4日後にはIWGPタッグ戦を新日本で行うも、中西がフォールを取られる。
2007年10月、田中将斗とAWAヘビー級王座をかけて防衛戦を行った。激闘の末に田中のスライディングDでフォール負け、タイトルを失った。
2008年1月1日に試合中の仲間割れから中西とのタッグ(ワイルドチャイルド)を解散。3月2日にはついに中西とのシングル初対決が実現。これに勝利してZERO1-MAXの意地を見せた。7月23日に開幕した火祭りではBブロックに配属され、ライバルである中西を撃破、さらに復帰後約一年に渡って不敗街道を驀進していた田中にも土を付けて田中、中西とともに同ブロック首位に。しかし8月3日、火祭り最終戦での決勝戦進出を賭けた3WAYタッグでは田中の頭脳プレイに敗れ、決勝進出はならなかった。
2008年8月26日、「一身上の都合」により8月末日をもってZERO1-MAX退団を発表。一時休業することを表明した。8月30日、後楽園ホールでの新日本プロレスPREMIUMで蝶野正洋と対戦。終始ペースを握り、場外でアックスボンバーを放ち、蝶野をノックアウトするが、試合は30分時間切れの引き分けに終わった。
2009年3月15日、新日本プロレス後楽園ホール大会のセミファイナル6人タッグ戦終了後に突如出現し、休業以来続いていた沈黙を破る。かつての盟友のリング上の中西に握手を求め、再び共闘することをアピールし、「ワイルドチャイルド」を再結成。8月にはG1 CLIMAXに出場。IWGP王者の棚橋弘至に勝利する活躍を見せた。
2010年1月20日、妻が女将として働く実家の旅館を手伝うため、石川県金沢市に拠点を移し旅館業兼レスラーとして活動することを発表。11月15日のSMASHの記者会見で本格的に復帰すると宣言した。
2011年3月より、古巣の全日本プロレスに参戦。太陽ケアをパートナーにし、世界タッグ選手権に挑戦した。 同年4月、7年ぶりにチャンピオン・カーニバルに出場。7月、ケアとのタッグで再び世界タッグ選手権に挑戦した。
2011年7月18日、後楽園大会においてKENSOとWJ時代以来となる一騎打ちを果たし、アックスボンバー2連発で勝利を収めた。
2011年8月27日に行われたALL TOGETHER 東日本大震災復興支援チャリティープロレスに出場。高山善廣とタッグを組みノーフィアーの再結成となった他、対戦相手の秋山準との再会も注目を集めた 試合は大森が健介にフォールを取られ敗戦。試合後のインタビューで「ノーフィアーの今後の再結成」について質問されると大森は「ファンが望んだら実現する」と、再結成に前向きな姿勢を示した[3]。
2011年11月19日、征矢学とのタッグチーム「GET WILD」を結成。
2012年1月2日後楽園ホール大会にて観客ジャッジを行い、90%以上の支持率を集め入団に合格。2月1日付で正式再入団することが発表。2月3日、後楽園ホールで秋山準との三冠戦に挑み、敗れるがその日のうちにGET WILDとして世界タッグ王座への挑戦を征矢学と共に表明した。3月4日、同じく名乗りを上げたKENSOとカズ・ハヤシの「TEAMビチッと!」を破り、挑戦権を獲得。3月20日、両国国技館でダーク・オズ、ダーク・クエルボ組とのタイトル戦に勝利し、第61代世界タッグ王者になった。初防衛戦にて世界タッグを真田聖也・ジョー・ドーリング組に奪われるもののすぐに取り返した。またGET WILD結成後は度々征矢との漫才のようなやり取りをするようになり、ほぼ毎回意見の相違や主張の食い違いをみせ(主に征矢の奇天烈発言が原因)、周囲の失笑と呆れを買っている。しかし、誤爆や連携ミスなどを再三にわたり繰り返すのだが不思議と結果はきちんと残している。
タイトル暦
全日本プロレス 世界タッグ王座:2回(第38代、第61代)
アジアタッグ王座:2回(第62代防衛回数12、第66代)
2000年チャンピオン・カーニバル準優勝
第2回および第3回あすなろ杯争奪リーグ戦準優勝
プロレスリング・ノア GHCタッグ王座(第3代)
新日本プロレス IWGPタッグ王座(第49代)
ZERO1-MAX / ZERO-ONE AWA世界ヘビー級王座
NWAインターコンチネンタルタッグ
NWA認定UNヘビー級王座
WLW WLW世界ヘビー級王座
EWA EWA世界ヘビー級王座
その他 GAY世界アナル級初代王座(男色ディーノによる自作ベルト。しかし戴冠直後に返上)