概要
単にサパティスタと呼ばれることも多い。サパティスタはチアパスの貧しい先住民族の農民達を主体に組織されているが、その支援者はメキシコ国内の都市部などにも幅広く存在し、またウェブサイトを介して世界的な支援を受けている。
歴史
サパティスタという名称は、メキシコ革命において農民解放運動を指揮したエミリアーノ・サパタにちなむもので(「サパタ主義(サパティスモ)」)、サパティスタ民族解放軍はこのサパタの思想を引き継いだ革命行動である。
1994年1月1日の北米自由貿易協定(NAFTA)の発効日に、サパティスタ民族解放軍は、「NAFTAは貧しいチアパスの農民にとって死刑宣告に等しい」としてメキシコ南部のチアパス州ラカンドンにおいて武装蜂起した。NAFTAによって貿易関税が消失しアメリカ合衆国産の競争力の強いトウモロコシが流れ込むとメキシコの農業が崩壊することや農民のさらなる窮乏化が予測されたのである。実際にメキシコではNAFTA発効後、多くの農民が自由競争に敗れて失業しメキシコシティのスラムや北部国境のリオ・ブラーボ川を越えてアメリカ合衆国に流入した。ラカンドンでは木材のグローバル商業化や石油やウランの発掘がもくろまれており、当地の先住民を一掃する大規模な強制排除計画が進みつつあった。具体的には、白色警備隊と呼ばれるギャング組織が大規模農園主によって雇われ暗躍し始めていた。身に迫る脅威を前にインディオたちはついに500年の抑圧を経て立ち上がったのである。
これに対しメキシコ政府は武力鎮圧で応じ、チアパス州のインディオ居住区を中心に空爆を行なったためサパティスタ側に150人近い犠牲者が出た。これを受けてサパティスタ側は対話路線に転換したが結果的にそれが奏功し、以後メキシコ国内外から高い評価と支援を受けることになる。
サパティスタ民族解放軍は、先住民に対する構造的な差別を糾弾し、農地改革修正など政府の新自由主義政策に反対、農民の生活向上・民主化の推進を要求し、政府との交渉と中断を何度も繰り返しながらも今日まで確実にその支持者を増やし続けている。
サパティスタ民族解放軍の実質的リーダーは、サパティスタ民族解放軍のスポークマンであり反乱軍の指揮も執るマルコス副司令官であるが、マルコスは例外的に非先住民族である。マルコスが反乱軍の指揮を執りながら司令官ではなく副司令官を名乗るのは、「真の司令官は人民である」との信念に基づく。
評価
サパティスタ運動の方法論や主張は、従来の左翼ゲリラと一線を画しているため世界的な注目を得ている。サパティスタ運動は最初のポストモダン的革命運動であると言われているが、それはサパティスタ民族解放軍がインターネットを介して大々的に自らの主張を展開し、またそれによって世界的な支援を獲得したためにもはや武力などの実力を行使せずとも隠然たる影響力をメキシコ政府に対して持つに至ったというまさにIT時代の革命運動だったからである。たとえば、マニュエル・カステルは、サパティスタを「初の国際ゲリラ」と称している。この点において、コロンビア革命軍やIRA、日本の極左暴力集団に代表される、武力や脅迫といった一般人の犠牲者をも生むテロリズムに頼る前例とは異なった革新的手法と言える。
また、サパティスタ運動はメキシコからの独立や、政権の転覆と政権の奪取を目的とする反政府運動ではなく、世界的な新自由主義グローバリゼーションがもたらす構造的な搾取と差別に対して闘うことを目的とした運動であるという意味においても従来にない左翼ゲリラであった。