ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

BACライトニングの編集履歴

2013-10-06 10:28:05 バージョン

BACライトニング

びーえーしーらいとにんぐ

イギリスの開発した第二世代型戦闘機で、特に『タテに2連装したエンジン』などは他に例を見ない。もちろん迎撃戦闘機としても優秀で、大出力エンジンと軽量な機体の組み合わせは迎撃機にふさわしい上昇能力をもたらしている。だが、以降は開発費用がかかりすぎる点がネックになり、ライトニングはイギリス最後の独自開発戦闘機となった。

イギリスの危機感

第二次世界大戦終結後、イギリスでは労働党が政権をとり、軍縮政策が行われていた。

だがアメリカソビエトは互いに警戒し、ナチスドイツの航空技術を吸収して年ごとに次々と新技術を開発していた。

かたや軍縮、かたや軍拡では差が付くのは自明であり、特に超音速戦闘機に至っては新規開発すら無いイギリスでは早晩太刀打ちできなくなるのは時間の問題となっていた。


そこで1947年、軍需省は『将来、戦闘機にも転用できる超音速研究機』をイングリッシュ・エレクトリック社やフェアリー社といった国内航空機製造社に依頼。かくして(色々な意味で)イギリス独自の戦闘機が生まれるのである。


『かっこいいスーツケース』

この仕様は「ER103」と呼ばれ、イングリッシュ・エレクトリック(EE社)P1とフェアリーFD2が製作され、基礎研究を始めることとなった。


とくにEE社はキャンベラ爆撃機に引き続きいてウエストランド社よりテディ・ペッター率いる設計陣を呼び寄せ、仕事に当たらせるという気合の入れようである。ペッターには超音速戦闘機を設計した経験こそ無かったが、設計は個性的で独特の考え方を持っていた。


だが設計にあたり、論争が巻き起こったのは「水平尾翼の位置」だった。

「水平尾翼は主翼より高くあるべきか、それとも低くあるべきか」

そこで検証するための実験機ショートSB5が製作され、ライトニング設計のためのデータを収集することになった。この実験機はのちのライトニングとよく似た平面形をしており、主翼の後退角や水平尾翼の位置を差し替えられるようになっていた。


実験の結果、設計はほぼ手直しが必要ないという事になった。

(翼外側に切れ込みを入れただけ)

1954年、ライトニングの最初の試作機が完成。8月4日の初飛行の後、3回目の飛行で音速突破を果たした。設計は確かだったのだ。しかも、アフターバーナーのない「サファイア」エンジンで水平飛行マッハ1.2。「初の超音速戦闘機」ことF-100に初飛行はその前年だから、この時点では決して遅れをとってはいなかった。


戦闘機への道

これに先立つ1952年、軍需省はフェアリーFD2との比較検証の結果、ライトニングP1を制式採用することが決まった。ライトニングには設計変更が加えられ、とくにエンジンは強化が加えられた。


とくにライトニングP1の2号機にはさっそく実戦装備を施され、さらに1954年には増加試作機も発注。開発は大幅にスピードアップが図られ、1956年には最初の戦闘機型ライトニングF1が50機発注された。

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました